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第一話 「夢と」
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 恋(れん)が、この町に来たのは昨日である。
中央都市(別称で「フェイテルピース」と呼ばれている)のあの「お方」に頼まれたのだ。

 この町は、新しい。創立し、ある程度町の形成が為されてから50年も経っていない。整然とした建物の列は、ある意味綺麗で、ある意味冷たい雰囲気があった。でも、恋は、ここは良い町だと思った。
人工都市である。訳あって、自然の中では生きられなくなったため、人々は自然から隔離した場所を創る必要があった。そうしないと、死んでしまう。
そのための、人工都市―町である。
文明の向上を模索しながら、ゆっくりとこの町は形成されている。まだまだ開発途中のところが多かったが、人々は“夢”を持って生きているように見える。
「自分たちが“夢見る”町を創ろう」という雰囲気が人々の心にあり、人々は同じ目的のために団結していると言える。

 住居施設などが立ち並ぶ一画を、恋は歩いていた。
生活の場であるここは、人の集まる所である。人の集まる所には、『あれ』が出現する可能性が高い。
新しい建物の棟は、人々の心を反映しているのか明るい。そして、思ったとおり人々の表情も明るく見える。こんな場所では、『あれ』が出現する余地はないかもしれない、と恋は思った。
だけど、どこになにがあるかはわからない。
人々は生きていく中で、ふとしたことで「負の感情」を抱く。それは、生命の宿命であり、生きているということなのであろう。
 恋は、意図して寂しい場所を選んで歩いていた。建物の影になって、昼間なのに薄暗い。風の通りも悪く、空気がこもっている感じがする。
 恋は、確かめるようにゆっくりと歩いていた。ふと、感じるものがあった。
数階建ての住居施設の後ろ側で、人通りは全くない。
 薄暗いこの道に、更に暗い場所があった。そこには黒い何かが蠢(うごめ)いているように見える。
 恋は注意して、そこへ足を進める。影だと思われた何かは、ゆっくりと変化していた。黒い霧が、ある姿へと形作られていく。変化はゆっくりだが、足のような物が生え、顔の形が出現し、牙が現れる。徐々に、獣の姿へと形作られているのである。
 『闇の獣』
 人が、生命が、生み出す負の感情を糧に生まれる「闇の存在」だ。
憎悪、怒り、苦しみといった負の感情は、闇を呼び起こす糧となる。人々はそういう負の感情を本能的に処理している。泣く、殴る、忘れるなど負の感情の処理をせず、いつまでも持っていたら、人間はおかしくなる。死んでしまうこともあるだろう。
生きる本能で、生命は体内にある負の意識を浄化する。また、外に出すことで、内にある負の意識を消滅させることができる。処理ができないほどの負の意識を持つと、人は、生命は、闇に喰われる。闇に喰われたらどうなるか、それはそのときになってみないとわからない。
 外に出た負の意識は、拡散し消滅する。「光」の強い所なら、拡散しなくても消滅することもある。だが、確率的に「残る」可能性もあった。
負の意識は負の意識を呼び、徐々に集まり消えることのない大きな「闇」を形成する。そして、きっかけがあって、集まった「負の意識」―「闇」は意志を持った存在へと変化する。そのひとつが、『闇の獣』である。
 「闇」を、生命の負の感情を糧とする『闇の獣』は、更なる闇を生まれさせるため、生命ある者を襲う。直接襲うこともあれば、体内に入り、その者の心に巣食い影響を与えることもある。「闇」を生み出すために、『闇の獣』は動く。
 形作られた『闇の獣』は、気づいたのであろう恋の方を見た。黒く輝く目は、見ただけで失神してしまいそうな強烈な悪意があった。
『闇の獣』は間合いを計って、恋に襲おうとしているようだった。
 運が悪かったな、お前を食べてやる・・・。
『闇の獣」の目がそう言っている。
 恋は、特に思うことなく、いつものとおり、呟いた。
 「魔法陣・・・。」
差し出された右手から、淡い銀色の光を放つ複雑な模様の円形の魔法陣が出現する。その大きさは人間の恋がすっぽり入るぐらいで、大きいといえよう。
 それを見た『闇の獣』はびっくと震えた。自分を消滅させる“力”がそこにあるとわかったからだ。『闇』が恐怖する。それは、『闇』にとっては、死に値することである。
 『闇の獣』は余裕を無くし、無我夢中で恋に襲い掛かってきた。だが、それはあまりにも無謀である。自分から、魔法陣の中に突っ込んだのだ。
 魔法陣に捕われた『闇の獣』は人には聞こえない声で、大きく泣き叫ぶ。
 「斬・・・。」
 恋がそう呟くと、魔法陣に捕われた『闇の獣』は切られたように真っ二つになり、そのまま灰となって消滅する。
 
 恋が、あの「お方」に頼まれたのは、この新しい町を守って欲しいということであった。人口増えつつあるこの町。町の成長に比例する形で人も増える。そして、人が増えるということは、『闇』の出現する可能性が高くなるということだ。『闇』と戦える者は、数少ない。そして、この町で『闇』の存在を知る者は、ほんの数人だ。直接『闇』と戦えるだけの能力がこの町にはなかった。『闇』を知る者は、『闇』を生み出させないように光ある町作りを考えている。だが、どこで負の感情が生まれるかわからない。負の感情があれば、それを糧とする『闇』も現れる可能性がある。だけど、その『闇』と戦えるのは・・・。

 恋は、『闇の獣』を出現させた薄暗い場所を魔法陣で浄化した。「闇」が集まりやすい場所としないためだ。
 黒い影は消え、いくらか白い明るさが戻ったふうに見える。
 もう問題ないと思って、恋はこの場から離れようとした。
そこへ・・・
 「驚いたな。」
と低い男の声がする。
 恋は気持ちばかり、その声の方へと振り向いた。
 黒い衣装を身にまとった若い男が立っている。その男は恋のことを感心しているようだった。
 「『闇』と戦える“力”を持っているのだな。」
 男は、恋が浄化した箇所を見つめながら言う。
 「あなたは・・・。」
 黒い衣装で全身を覆った男。恋には見覚えはない。だが、彼が近づいたのに気がつかなかったことに少々驚いていた。彼は完全に気配を消していたのだ。
 「私か?・・・私も『闇』と戦う力を持っている。」
 男は真っ直ぐに恋を見た。彼の瞳には強い意思が宿っている。
 
 夢創 空音(むそう たかね)―彼との出会いが、恋の運命を変えていく・・・。

 A
 少々焦っているのかもしれないな・・・
 夢創 空音は屋敷の自室で今日のことを考えていた。
 『闇』の気配を感じ、空音はすぐにそこへ向かった。
 『闇』と戦うのが夢創家の使命であり、空音はその夢創家の現当主である。
 目的地に着くと、既に事は終わっていた。
一人の女性が、『闇』を消滅させたのだ。
 見たことのない“力”だが、悪い力ではないと空音は直感する。
 『闇』が消えたのなら、そのまま去ればよかった。夢創家は影で生きる存在。好き好んで人前に出る必要もなかった。だが、空音にはある焦りがあった。
 呪い・・・。
 過去にもたらされた呪いで、夢創家は、夢創の力を使う者は、えてして短命であった。特に当主は30にならない前に死ぬことが多かった。過去、一族の者はこの呪いを解こうと数々の方法を試す。だけど、うまくいかない。ただ、夢創を捨て、“力”を忘れた者には、この呪いは発動しなかった。だが、呪いは消えたわけではない。
 20過ぎになり、空音の中で、焦りがある。
 呪いで死ぬ前に、私の力を継がさなくては…。夢創家を滅ぼすわけにはいかない。
 だけど、馬鹿げたことだ。あの女の前に出て、何かが変わるというわけでもない。しかし、空音が去らずに彼女に声をかけたのは、彼女に興味を持ったからだ。惹かれたと言ってもいいのかもしれない。
 「当主様。食事の用意ができました。」
 代々夢創家に仕える一族である妙(たえ)が、障子越しに見えた。
 「そうか。すぐに行く。」

 夢創家の屋敷。町から離れた林の奥にある。
 大きめの屋敷だが、現在ここに住んでいるのは、空音と妙、そして妙の母親の年老いた苗だけである。
 一族の昔は、召使だけでも何十人と雇っていた。だけど、今はこれだけである。
過去の戦いの末に、夢創家はこの大陸へと移って来た。そのときついて来たのは妙の一族だけであった。
 空音の両親はいない。父は呪いで空音が小さいときに亡くなっている。だが、力は受け継いだ。母は病弱で数年前に亡くなった。
 妙は小さいときから知っている。現在は30前の年齢で、幼い空音にとってはお姉さんのような存在だった。だが、夢創として『闇』と戦うことになってから、そういう関係はなりを潜めた。今では、妙はただの仕える者であった。
 食事の席で、妙は黙って空音が食べ終わるのを待っていた。空音は前に、一緒に食べたらどうだと聞くが、妙は断った。妙にとって、当主様と同じ席で食事するなど恐れ多いことなのである。
 静かな食事。空音は無意識にでも、今日のことを考え出す。
 恋(れん)と名乗ったあの女・・・不思議な感覚が空音の中にあった。今までにない感覚。
 彼女の瞳は、どこを見ているのか深く、そして優しげだった。不覚にもしばし、空音は彼女の瞳に見入ってしまった。
 夢創のことをわかってくれるかもしれないな…。
 そういう甘い考えが起きたことに、空音は苦笑するしかなかった。

           *   *   *

 この町を統括する行政施設の一室、恋はここで寝泊りをしている。
 係りの人に頼み、中央都市のあの「お方」に電子文書を送った。返事が来るのは、早くても明日だろう。
 夢創家。恋も聞いたことがある。『闇』と戦う一族。影の存在。歴史の表舞台に現れることのない者たち。しかし、彼らの功績は大きいと思える。
 『闇』と誰もが戦えるわけではない。“力”もさりながら、強い意思、『闇』に立ち向かえる勇気…心の強さも必要なのだ。それを併せ持ったのが、あの夢創の者たちなのであろう。
 恋は、夢創空音と名乗ったあの男を強いと思った。並大抵の修練ではあの強さは手に入れられない。彼がいるのなら、この町は安心だと思った。
 彼が、『闇』に負けるとは思えなかった。
 だから、恋は、あの「お方」に伝えたのだ。わたしは必要ないと。
 恋は、まだ若い。もう少し、あの「お方」のところで学びたかった。そして、中央都市には、永遠といえる親友もいる。自分の役目はわかっているが、その役目を迷うことなく遂行するには、もう少し年数が必要だと思っている。
 次の日、予想通り、中央都市から恋に対し、手紙が届いていた。
 「もう少し町の行く末を見守ってください。・・・・・・あなたが寂しいのもわかりますけど。」
 恋は、恥ずかしかった。恋のことを信じ、あの「お方」はこの難しい使命を彼女に託した。それをわかっていながら、もう必要ないと馬鹿げたことを言ってしまった。甘えたことを考えたのは反省すべきことであった。
 気を取り直し、恋は出かけた。
 あの「お方」の手紙の中にあった。
 「夢創を助けてあげて。」
 何を助けるのであろう。手紙の言葉の意味を確認するために、恋はあの夢創の者を探しに出かけた。


 「ふん!」
 空音の強烈な気合の一撃は、『闇』と化した人間を吹き飛ばした。
 うなり声を上げて立ち上がろうとするその男は、『闇の獣』に巣食われ心を喰われ、『闇』と化してしまったのだ。
 完全に『闇』と化してしまったらもはや助からない。人としての心はなくなる。
 だが、まだ大丈夫だ。
 空音は『闇』と化した男に近づくと、懐にあった短剣を抜き、“力”を込めて、男を斬った。
 直接斬ったわけではない。男に巣食う『闇の獣』だけを斬ったのだ。
 『ぐおおおおおおぅぅっ!』
 男は獣じみた声を上げ、のた打ち回って気絶した。その男から黒い影、男に巣食っていた『闇の獣』が現れる。「闇」をだいぶ喰ったのだろう。1メートルはある巨大な「獣」が鋭い視線を空音に向ける。悪意の満ちるその視線は、並みの人間なら受け止めることもできず、絶命するかもしれない。だが、空音にはたいしたこともない。
 空音は流れるような動きで、『闇の獣』に近づくと、「獣」が行動を起こす前に、手に持っていた短剣で真っ二つに斬った!
 『グゲエエエエエエ!』
 人には聞こえない叫び声をあげて、『闇の獣』は消滅する。
 空音は倒れている男の様子を確かめてから、静かにその場を去った。


 誰も気づかない。完全に気配を消して歩いている。夢創家特有の特技といえよう。開発中のショッピング街だが、お店もいくつか開いており、若い女性や子供で賑わいを作っていた。その道を、空音は歩いていた。黒い衣装を身にまとい、通常なら目立つ格好だが、誰も彼に気づかない。目の前にいても恐らく気づかないだろう。
 空音は町の様子を見ながら、屋敷へと戻っていた。人々の顔に笑顔が溢れる。『闇』の数は少なく、うまくいけば、この町の中では、『闇』の現れる余地はなくなるかもしれない。そうなれば、彼は必要なくなる。だが、空音はそれでいいと思った。
 ショッピング街を出て、まだ開発の手も届いていない場所を歩く空音。誰かが自分をつけていることに気づいた。
 身を隠す所はないが、彼はうまく歩調を変え、相手の出方を探る。見えてきた林の木に素早く隠れ、相手の姿をうかがった。
 相手の姿はなく、気配も感じない。
 気のせいか…と空音は思ったが、そういう考えはすぐに捨てる。注意して周囲に気を配るが、それらしい気配はない。彼は隠れるのをやめた。林から離れ、何の障害物もない広場に出る。そして、相手の行動を待った。
 数秒。ふっと空音はそこから素早く離れた。
 バシッ…と空音にいた場所の空間が割れる音がする。
 空音が見ると、何かが消えていくのがわかる。
 そして・・・
 「何のつもりだ。」
 昨日の女がそこにいた。
 「あなたと話がしたくて。驚かすつもりはなかったの。」
 「…それで、何の話をするのだ。」
 空音は危険がないと感じ、ふっと体の力を抜く。
 「いえ…」
 恋はどう言えばいいのか迷っている。
 「いえ、何か困っているのではと思って。」
 そういうことを言われるとは空音は考えていなかった。思わず、笑ってしまう。
 「…どうして、そう思うのだ。」
 「…寂しげな表情をしていたから。」
 少し考える素振りをしてから、恋は空音の様子ををうかがいながらそう言った。
 どう答えればいいか、言葉に窮す空音。
 寂しそうな顔をしているとは自分では思っていない。だが、ある諦めの気持ちが顔に出ているのかもしれない。
 「…困っていることがあっても、人に話す内容ではない。」
 空音は静かな声音で言う。
 「そうですか…。わかりました。」
 恋はわかったというように頷くと、すぐにその場を去った。話す気持ちがないのなら無理に聞くこともないだろう。
 空音も、少しして別の方へと歩き出した。



 それから半年の日々が経つ。
 『闇』と戦うことになっても、恋は空音と鉢合うことはなかった。
もっとも、『闇』と戦ったのは月に一度ぐらいの少ない数だった。この町には、「闇」
の出るような雰囲気がそれだけ小さいのだろう。
 恋は定期的に、中央都市のあの「お方」に報告をしている。そこには、恋が感じた町の様子も記されている。その報告の都度、律儀にも恋に対し返答が来る。恋をいたわる言葉や、質問、中央都市の様子、たまに、親友のメッセージも添えられていた。
今回も報告し、返答が来た。そこに、これから気をつけて、と意味深い言葉があった。
 あの「お方」には未来がある程度見えるらしい。
きっとこれから何かが起きるのかもしれない。恋はそっとそのことを心に留めた。

          *   *   *

 身体の調子が思わしくなかった。
 伏せている時間が増えている。
 呪いが現れたか…。
 空音は実感した。このままだと長く持たないだろう。
まだ、後継ぎもいない。夢創の一族を断絶するわけにはいかない。
 少し待ちすぎたか…。
 夢創の宿命をわかってくれる人。そして、彼の本当の望みをわかってくれる人。
 やはり運命は変えれないのか…。
 伏せている空虚の時間の中、突如襲う激痛に、空音は咳き込んだ…。


 「母様。」
 妙は、裁縫をしている母、苗に話し掛けた。
苗は、ちらっと妙を見ただけで、何も言わず黙々と裁縫を続けている。
 「当主様は、どうなるのでしょうか?」
 ここ最近調子が悪いらしい。病気らしい病気のなかったあの人が、あそこまで伏せがちになっていることに、妙は気が気ではなかった。
 「…致し方ない。ついに来たようじゃな。」
 意味のわからないことを呟く母、苗。妙は夢創家の呪いのことを知らなかった。
 「母様?」
 少し苛立ちの声音で、妙は母の言葉の意味をうかがう。
 だが、苗は何も言わずに黙々と裁縫の手を動かしているだけであった。

 妙は心配だった。彼女は当主様のために生きているといっても良かった。妙自身、そう思っている。ここ数日前から急に、調子を悪くしている。食べる量も減り、徐々に体も弱っていってるのを、妙は見ている。
 どうしたらいいの?
 医者に見てもらうことを勧めたが、当主様も、母も反対した。反対した理由が妙にはわからない。
 だけど、黙って見ているわけにはいかなかった。

 町のほうには、ほとんど来ない。食物は、屋敷の近くの畑と森の木々でほぼ賄っており、町に買出しに出る必要性はないと言えた。
 妙が町に来るときは、いつも空音が一緒だった。空音のお供でついて来るのである。
 お前も、町のことを知っておいた方がいい。と、空音は、反対する妙を無理やりにでも連れていく。妙にとっては恐れ多いことだったが、楽しくなかったと言えば嘘になる。ただ、空音と一緒に歩いているだけで妙は嬉しかった。妙は空音を想っていた。
 医者を探そうと、町に出たのはいいが、どこに行けばいいのかわからない。ついには、帰り道もわからなくなった。他人と話すのを慣れていない妙は、誰かに尋ねることもできない。ただ、途方もなく歩き続けるだけであった。
 歩き疲れて、妙はうずくまる。涙は出ないが、悲しかった。これでは、当主様に迷惑をかけているだけだ。
 夕焼けも薄くなっている。夜が迫っていた。
 帰り道もわからないが、帰ろうと妙は思った。歩く内に、もしかしたら知っているところ、空音と歩いた道に出るかもしれない。
 だけど、そう甘くはなかった。妙は気づかなかったが、屋敷のある方とは違う方角を歩いていた。
 人気のない所に入り、妙は立ち止まった。
 夜になり、街灯の明かりが所々にある。だが、妙の前方には光が届いていなく、全くの真っ暗だった。妙が立ち止まったのは、その真っ暗な闇に何かがいるのに気がついたからだ。それも、危険のものが・・・。
 『闇』のことは知っている。一度、『闇の獣』を目にしている。空音と町に出たとき、偶然出くわしたのだ。
 その時の嫌悪感といったらいいのか、嫌な感じが、今あるのである。
逃げようにも、体が動かない。
 『闇』が蠢く。何か光ったように見えた。
 妙の体に何かが貫いていく。妙は何もわからず、倒れていく。
倒れる妙を、支えた人がいた。
 恋であった。
 「大丈夫ですか?」
 恋は、妙に声をかけると、目の前にいる『闇の獣』それも、巨大な『闇』に意識を向けた。
 妙は気を失っており、身動きしない。
 恋は、妙を支えながら、魔法陣を出し、その『闇』と戦う。
 夜の闇は、『闇』にとって都合のいい場所である。恋の攻撃をうまくかわす『闇の獣』。このままだと、逃げられてしまうと恋は思った。逃げられては見つけるのが大変だ。人の中に巣食ってしまえば、探すのは更に難しくなる。
 『闇の獣』は、恋と戦うのは危険と思ったのだろう。ろくに歯向かおうとせず、暗い夜の闇の中へと消えようとする。だが・・・。
 バシュウ…!
 吹き飛ぶような音がすると、恋の前で『闇の獣』が消えていく。
 『闇の獣』は倒されたのだ。その倒した主が、暗い闇から現れた。
 夢創 空音だ。久しぶりに見た彼の顔は、驚くことに青ざめていた。


 「すまない。」
 妙を預り、空音は背負って帰ろうとするが、体調が思わしくないのであろう歩くのも苦しそうだ。
 「…どうしたのですか?」
 数ヶ月前と全く様子の違う空音に、恋は疑問に思う。
 「…話してもどうなるものでもない。」
 「ですが、何か力になれるかもしれません。」
 空音は恋のことを見た。恋は心配そうな顔をしている。
 ふっ…。
 力が抜けたように空音は微笑した。
 「すまない。よければ、妙を運んでくれないか?私一人、歩くのでいっぱいだ。」
 どうなるものではないかもしれないが、空音は恋に話してみようと思った。その前に、とりあえず屋敷に戻ろうと考える。
 「…わかりました。」
 妙は恋が背負って、空音のペースにあわせ、歩き始める。
 空音は無理をしているのであろう。一度も喋ることなく、町の外れ、林の奥の屋敷まで戻る。
 屋敷の戻り、疲れている空音だが休むことなく、呪いのこと、それに対する自分の現状、そして、夢創家のことについて恋に話した。明らかに調子が悪いのは目に見てわかり、休んでからでもと恋は思うが、空音は今のうちに話したいと言う。
 一通り話が終わり、空音は力尽きたかのように床に眠る。妙は、外傷もなく部屋で休んでいるはずだ。
 屋敷にある庭に出て、恋は一人考える。
 呪いを解く―それが空音、いや今までの夢創の者にとっては、最重要課題なのだろう。
 空音は言っていた。「私はいい。だが、次の子孫たちにはこの呪いを受け継がせたくない。」
 呪いを解く方法。今まで、“力”のある夢創の者たちが、模索してもできなかったのだ。並大抵のことではできない。呪いの理由。どうして夢創家に呪いがあるのか?代々継がれる夢創家の歴史の書物には、何も書いていなかったらしい。空音もできる範囲で調べたがわからなかった。
 “古代の力”が影響しているのかもしれない…。恋は、ふとそんなことを考えた。
 “古代の力”―「世界」が生まれし時から出現したという遥か遥か昔の“力”である。実は言うと、恋の“力”はこの“古代の力”のある意味延長線にあった。恋は、死ぬ思いでこの“力”を身に付けた。いや、今でもこの“力”により、死ぬかもしれない。“力”を制御できなければ…。
 恋にこの“力”を授けた相手―“古代の力”を持つという老婆は言った。
 「お前のすべてと引き換えにこの“力”はある。“力”と共に行き、“力”と共に死ぬ。だが、無限の可能性のある“力”だ。その“力”が何をもたらすか、私に見せてくれ…。」
 老婆はもういない。だが、見ているのであろう。どこかで。
 話は戻り、呪いの原因を知る方法。そして、解く方法。
 恋は考える。方法はある。“わたしの力”を使えば…。ただ、その方法は恋にとって考えさせられることである。
 それは、彼と結ばれること…。

 B
 恋(れん)は、中央都市に一度帰り、あの「お方」と相談した。そして、永遠の親友である彼女とも相談した。
 不思議だが、恋は助けたいと思った。夢創を。


 * * *
 光あるところに闇あり。
 「秩序」には、必ず相対するものが存在する。男と女も然り、生と死も然り・・・。
それが、「安定」でもある。
 “彼ら”にとって、「安定」は、すべて無くすこと、であった。
 「無」である。
 「無」こそ、すべてで、「無」こそ最高の存在である。
 『虚無』
 “彼ら”はその意志を実現するために生まれた。
 『世界は滅びつつあるのに、戯言を・・・。』
 “虚無”の中、一つの意志が揺れる。
 “未来”を諦めないあの者…。
 “虚無”は動く。まずは、あの者の信頼する“彼女”たちを『虚無』に落とす…。

 * * *

 「本気か?」
 今日は体調が良いようである。
屋敷から離れた森の道を、空音(たかね)は歩いていた。
 空音の視線の先には、恋がいる。
 「本気です。覚悟するのに時間かかりましたけど…。」
最後は苦笑するように恋は言う。
 「いや、しかし…。」
 突然のことだ。確かに、空音の心の中に、そういう思いもあった。だが…
 「わかっているのか?自分の言ったことを。」
 「…ええ。あなたにとっては悪い話ではないと思いますけど。」
 静かな表情で言う恋。
 空音は言葉が出ない。
 恋は言った。あなたと結ばれる、と。
 つまり、空音の妻になるというのだ。
 空音の心に、恋に対する淡い気持ちはあったかもしれない。だが、お互いのことも良く知らず、突然に夫婦となるのは…。
 「…それで、お前は幸せになれるのか?」
 空音にとっては、望むべき話であった。夢創の後継ぎを生きている間に残さなければならない。だが、誰とでもいいわけではない。その相手になる者を、空音は大切にしたいと思っている。本当に愛したいと考えている。
 「わかりません。でも、わたしはそうしたいと思ったのです。」
 恋の瞳は本気だった。
 じっと見る恋の綺麗な瞳から視線を逸らし、空音は一人考えるように歩いた。少し間を置いて、恋がついてくる。
 「いや、駄目だ。お前に、何の得がある。」
 短い命でも、いや、短い命ならなおさら、自分以外の者のことを大事にしたいと空音は思う。それが、彼の本質である。
 「…わたしにも、得はあります。それは今でなく、ずっと後のことですけど…。」
 空音にはその言葉の意味が良くわからない。だが、恋は本当に本気だということは理解した。
 恋は、空音と結ばれてもいいと考えている。
 「…だが、まず、お互いを知らないと…。」
 焦った声音で子供みたいなことを言う空音に、恋は小さく笑った。
 「そんな時間はありません。もしかしたら、あなたは明日にでも死ぬのかもしれないのですから。」
 確かにその可能性はある。だが…。
 「私より、お前のことを…。」
 空音は言葉を止めた。冷たいが柔らかい恋の手が、空音の手に添えられていた。
 「わたしでは、嫌ですか?」
 揺れた真っ直ぐな瞳で恋はうかがうように空音を見る。
 空音は言葉が出なかった。いや、彼女となら、彼女となら空音も嫌ではない。むしろ本望だ。
 空音はわずか聞こえるぐらいの小さな声で言った。
 「…嫌ではない。」
 それを聞いて、恋は満足したように笑顔を見せた。


 数ヵ月後・・・
 空音は体調を取り戻した。回復したというより、呪いが薄らいだのだ。
 恋と結ばれたことで、彼女の“力”が空音に直接入り込み、呪いを浄化する。完全ではないが、少なくとも呪いの効果を減少させることには成功している。
 空音と結ばれたとき、彼―夢創の血にある“記憶”から、恋は呪いの発端を垣間見た。
 『お前たちが幸せになれると思うな…。』
 暗い影が覆う風景、薄らいでいく記憶の中の声が言う。
 恋の持つ“力”は大きい。彼女自身が“力”であるため、その“力”を自由に扱うことができる。だから、悪意に満ちた夢創家の呪いと直接、戦うことができるのである。戦場は、記憶の中であり、いつまでも残る意識の中である。
 空音から呪いを完全に消し去ることはできない。それは、呪いが既に空音自身と同化していたからだ。消滅して問題のない範囲で、消滅する。そんな細かい芸当ができるのは、おそらく恋だけだろう。
 恋のお腹の中には、空音の子供がいる。
 その子らには、もう呪いは受け継がれないだろう。恋の持つ“力”の大半を使って、子供へと入ろうとする呪いを断ち切った。
 だが、このことで、恋の“力”の減少は著しいものとなった。


 「妙だな・・・。」
 『闇の獣』を切り裂いた後、空音はふと疑問に思った。
 いまだ漂う『闇』の質が、今までと何か違う。
 夜。
 『闇』の気配を感じ、空音は一人町へと繰り出した。
 そして、生み出されていく『闇の獣』を目にし、いつものように、それを切り裂く。
いつものように、霧散していく『闇』。
 そして、いつもならそれで終わりである。だが…
 空音は注意した。まだ終わっていない。いや、本当の『闇』がどこかに潜んでいる…?
 空音は気配を感じた。慣れた動作で、気配の方へと素早く動く。
 「!・・・どうしてここにいる?」
 相手を見、心配そうな表情で空音は言う。
 大きなお腹を抱え持った恋がいた。
 「…嫌な感じがあったので…」
そう言って、恋は空音の後ろ、彼が切り裂いた『闇』が漂う方へと視線を向ける。
 「…もう終わっている。お前は帰れ。」
 漂う『闇』はゆっくりと消えていっている。
 「心配しないで。わたしは大丈夫ですから。」
 安心させるように、恋は微笑んだ。
 だけど、空音は納得しきれない。恋のことが、本当に心配だった。
 恋の“力”の減少は、空音にも感じることができた。それが、彼女にとってどれだけの影響があるかも知っている。だからこそ、無理はさせたくない。
 「…『闇』は消えていっている。最後まで確かめたかったが、いい、共に帰ろう。」
 空音は恋の腰のあたりに腕を回して、支えるようにして屋敷へと足を進める。
 が、恋は歩こうとしない。
 空音は恋を見た。彼女の顔がこわばっている。
 調子が悪いのか…。
 空音はそう思った。
 背負っていけるかな…。
 膨らんだお腹を見ると難しそうだが、無理でもないだろう。
 ふと…空音は恋が一箇所を凝視していることに気づいた。
 空音が切り裂いた『闇』が消えていく所、いや、彼女はその奥を見ている。
 「どうした?何かあるのか…。」
 空音にはそれ以上の気配は感じない。でも、恋には何か見えるらしい。
 「…ついていないですね。まだ、早いですよ。」
 空音には、恋の言葉の意味が分からない。
 恋は、自嘲気味の笑顔を向け、空音に言った。
 「ごめんなさい。わたしを守って。」
 驚いたが、彼女の目はこう言っていた。
 ここで死ぬかもしれないと。

 「守るも何も、気にするな。先に帰ればいい。」
 いまだ正体はわからないが、厄介な相手がそこにいるらしいことはわかった。それはきっと、今まで戦ってきたモノより、更に面倒な相手なのだろう。
 「…無理です。すでに周りに…。」
 恋のその言葉に、空音ははっと周囲を見た。だが、何がいるのか空音にはわからない。
 「…何がいるのだ。」
 戦闘態勢の形を取り、空音は低い声で言った。
 「おそらく『虚無』…」
 恋がそういう前に、“相手”が動いた。
 「くっ!!」
 空音はなす術もなく、背中に強烈な一撃を受けた。気絶しなかったのは運がいい。
 恋は魔法陣を出して、自分を守ろうとしている。
 何かが魔法陣に当たっている。空音には、それがたんなる空気にしか感じられない。
 その何かが魔法陣に当たるたびに、魔法陣の力は弱まっていた。
 「恋!」
 見えない相手。そして、感じることができない相手。空音には初めての経験だ。
 空音は恋の周囲の大気を短剣で切り裂く。だが、何もない。それでも、何度も恋の周囲の大気に短剣を振り下ろした。でも、何も変わらない。
 「…無理です。この空間にはいません…。」
 苦しそうな声音で恋は言った。
 この空間にいない?
 別の空間から、相手は攻撃してきている。だが、空音にはその認識ができない。
 「!!」
 何もできず、空音は吹き飛ばされた。どういう力があったのかも感じられない。
 恋の魔法陣は今にも消えそうだ。顔色も悪く、もはや限界だった。
 恋が跪(ひざまず)く。
 空音は気力を振り絞って痛みを忘れ立ち上がり、恋を助けようと駆け寄った。
 魔法陣は消え、恋は激しく息をしている。
 その周囲に、初めて空音も感じられてのだが、黒でも赤でもないどちらかといえば紫に近い色のした存在が現れた。恋の周囲に黒紫色の霧が覆い始めている。
 恋は顔をあげて、黒紫の霧の一方を見た。
 「『虚無』…。」
 恋のその言葉に、相手は満足したのだろう。笑い声のようなものが空音に聞こえた。
 黒紫色の霧が、恋を襲うとする。
 空音は強烈な速さで、短剣でその霧を切り裂こうとした。だが、何かを切り裂いた感覚はなく、空振りに終わる。
 「無理よ。あなたの力では。」
 女の声がした。
 その声の主は、空音の横を素早く通り過ぎると、
 「シャランリング!」
 と叫び、恋の魔法陣と違う金色の光を放つ魔法陣を幾つか出現させると、それに念を込めて恋の周囲の霧を振り払う。
 金色に輝く魔法陣に当たった黒紫色の霧は、切り裂くような音がして消えていった。
 その光景を空音は呆然と見るしかない。
 恋は金色の魔法陣を扱う女を見た。
 強気な笑みを浮かべる彼女。
 恋の親友。
 「どうしてあなたがここにいるんです…。」
 恋は力尽きたように倒れていく。
 薄れていく意識の中で、恋は彼女―杏香(キョウカ)がウインクしたような気がした…。
 

 C
 「ふーん、へー、そー・・・」
 杏香(キョウカ)は品定めをするように、まじまじと空音(たかね)の顔を見ていた。
 ここは、夢創家の屋敷。
 床の中の恋(れん)は苦笑の表情で杏香の様子を見ている。
 「彼の顔に何かついています…?」
 空音は困った表情で杏香の行動を見つめている。

 昨夜の戦いの後、恋が目を覚ましたのは、昼を過ぎてからのことだった。
 目を覚ましたということは、生きていることで、運が良かったとしか言いようがない。
 『虚無』・・・
 その存在は、あの「お方」から聞いていた。そして、しばらくした後に、その存在と戦うことになるかもしれないこともわかっていた。恋には、その覚悟もできていたし、そして、自分の運命も知っている。ただ、恋にとって予想外だったことは、『虚無』との出会いがこうも早いことだった。あの「お方」の未来予知が外れてしまっている。
 恋にはするべきことがある。
 子を産むこと。
 空音との間の子を産むこと。
 それまでは、『虚無』と出会いたくなかった。
 今の恋は、戦うことなんてできない。腹の中の“子供”を守らなくてはいけない。そのために“力”を使っている。今は、『虚無』と戦うときではない。


 「いやー、なかなか良いじゃない?あなたにとっては上出来よ。」
 視線を空音から恋に向け、楽しそうに言う杏香。
 恋は空音と視線を交わした。
 空音の顔には、ついていけない、というように書いてある。
 明るくはしゃぐ杏香。わたしが寝ている間もこうだったのだろう、と変わらない親友に恋は心の中で微笑む。
 「でもでも、興味あったのよねー。あなたの結婚相手、ぜひとも見たいと思っていたし。」
 「すまないが、もう少し静かにできないものか?恋も体が悪いんだ。」
 トーンの高い杏香の喋りに、辟易したように空音は言う。
 「うん?大丈夫よ。この子は、ものすごく丈夫なんだから。ねえ、恋。」
 そう言いながら、寝ている恋の肩をぱしぱしと叩く杏香。
 「丈夫かもしれませんが、今は子供がいますので…。」
 「えー。まだ産まれてないの?」
 「すぐ産まれると思っていたのですか?」
 「でも、もう半年になるんじゃないの。あなたから子供ができたっていう手紙をもらってから。」
 「くすくす、知らないのですか?もう少しかかります…。」
 変な会話だなと空音は思う。
 恋が楽しそうにしているのを見て、杏香を黙らせるのは諦めた。
 「恋。何か食べるか?」
 彼女たちの話の隙を見て、空音が言う。
 「えっ、そうですね…。少しだけ。」
 寝起きは苦しそうな表情だった恋だが、杏香との会話の間に元気な表情になっている。
 「わかった。用意する。」
 空音は頷いて、席を立つ。
 「あっ、わたしにもおやつお願いねー。」
 背中越しに聞こえる元気な声に、空音はひっそりとため息をついた…。
 「さてと、真剣な話…」
 空音が遠ざかったのを見てから、急に真剣な表情になる杏香。そのギャップに恋はおもわず笑ってしまう。
 「…笑わないでよ。」
 「すみません。でも…」
 「うん。彼には話してないわ。何もね。」
 恋と杏香の間には、言わなくてもわかることがたくさんある。それだけ互いを知っている。少しの動作で何を言いたいのかもよくわかっている。
 「それより、どうしてここにいるのです?」
 「もちろん、頼まれたからよ。あの「お方」に。」
 「それはわかりますけど、いいのですか?」
 「まあね、よくはないけど、『闇』とかと戦える人は少ないし。でもね、あなたを守らなくてはいけないでしょ?」
 「『虚無』が出現するのをわかったのですね…。」
 「ええ、あの「お方」が言っていた。だから、わたしに頼んだの。あなたが動けるようになるまで、守ってあげてって。」
 「…それ以上聞いています?」
 「?何を?」
 恋の運命。杏香は知らないようだ。
 「いえ、つまり、しばらくこちらにいるということですね。」
 「そうよ。しばらくここで暮らすわ。」
 とウインクする杏香。
 恋にはわかった。あの「お方」は、恋が子供を産むまで、杏香をこちらによこしたのだ。中央都市の守りが薄くなるのがわかっても…。
 恋はとりあえず安心した。杏香なら、十分『虚無』と戦える。昨夜の様子を見ても、空音には難しそうだった。『虚無』と戦うには特別の“力”がいる。
 その日が来るまで・・・。
 恋は運命を知っている。でも、空音と出会って、その“運命”にも「夢」を持つことができた。
 その日が来たとき、彼とそして、杏香はどう思うのだろうか?
 真剣な話はやめにして、また明るく話す杏香を見ながら、恋は一人思う…。


* * *
 例え未来がわかると言っても、それが本当に真実の事実だとはいえない。
 その時が来て、はじめて本当の事がわかるのだ。

 …だからといって、自分の運命が変わるとは恋は思わない。いや、自ら進んでその運命の中を突き進むことになろう。それが、恋の答えであり、恋がするべきことだと自覚していた。
 恋の持つ「夢」は、子供たちに託される。
 恋の本当の「夢」が実現するのは、その子達…いや、その子達から伝えられる未来の子孫である。恋は、そのことまで理解している。
 恋の持つ“力”―“夢の力”。その「夢」が真実の姿となって、世界を守る真実の夢となるのは…まだまだ先の、未来の出来事である。
* * *


 妙(たえ)の心境は複雑だった。
 喜ばしいことであるが、素直に喜べない自分がいる。
 素直に喜べない原因はわかっている。当主様―空音に対する想いの故であろう。
 妙は、心のどこかで、当主様の伴侶になることを夢見ていた。
 実現できたらどんなに幸せのことか、考えていた。
 しかし、それは実現できないものだと諦めていた。妙の立場上、それは許されないものだと、妙は自分で自分を縛っていた。
 真実はそうではなかっただろう。妙が、空音に想いを告げていたら、その結果どうなるかはわからないのである。妙の夢見る結果になることも考えられた。
 だが、妙にはそこまで考える力がなかった。
 妙にできたのは、ずっと空音の側にいられたらそれでいい、ということでであった。世話係でいい、どんな形でも側にいられたら…。

 空音の子供が産まれた。

 三つ子で、三人とも男の子だった。
 可愛らしい赤ちゃん。空音は嬉しそうだった。そんな空音を見ていたら、妙も嬉しくなる。
 これでいい。当主様が幸せなら…
 複雑な気持ちはしこりとして残ったままだったが、妙は現実を受け止めるつもりでいた。それが、一番良いと考えた。
 
 「…少しよろしいでしょうか?」
 庭の掃除をしていた妙に、恋が静かに声をかけた。
 妙は、びっくりしてしばらく返事ができなかった。
 空音に対する感情のために、妙は恋が苦手だった。憎む…ほどではないが、苦手意識だけは、消えない。恋が、この夢創の屋敷に来てから、数えるくらいしか話していない。その数回も、話といえるものではなく、挨拶程度である。だから、恋から声をかけられたことに驚いてしまった。慣れていないのである。
 「は、はい……。」
 しばし間を置いて返事をする。
 今忙しいので、と逃げることは思いつかなかった。思いついたとしても、妙にはできなかったであろう。
 「あなただけに話がしたいの。できれば静かな所へ。」
 と言って、恋は、誘うようにしてからゆっくりと歩き出した。
 妙は少し恋の後姿を見て、そっと後を付いて行った。

 屋敷の外をしばらく歩いて、森の木々の中へと少し入ったところで恋は立ち止まった。妙は、一定の距離を置きながら恋の後を追って来た。突然のことで動揺があったのだろう、掃除のための箒(ほうき)まで連れてきてしまった。置いてくれば良かったと思ったが、いまさら戻ることも妙にはできない。
 恋と妙がいる辺りは、日影で涼しかった。
 妙が立ち止まったことを感じたのであろう。すっと、恋は妙の方に振り返った。
 恋の静かな表情。妙は綺麗な人…と改めて思った。
 「ごめんなさい。ここまで連れてきて。」
 およそ五分ほどだっただろうか。謝られるほど歩いたとは妙は思わなかった。
 「あなたに頼みたいことがあるの。その頼みをあなたは拒否してもいいし、受けてくれても良い。聞いてくれますか?」
 真っ直ぐな瞳。
 妙はその瞳を見つめ、ただ、頷くだけであった。


 その後、もはや何もできそうになかった。
 妙は母に言って、自室で休むことにした。掃除も料理も手につかない。
 恋が妙に言ったこと…。他の誰にも言わないで、と言われた話。
 そして、恋が妙に頼んだ願い事。
 その恋の言葉が、妙の頭の中でグルグルと回って、それ以外のことが考えられない。
 どうしたらいいのかわからない。
 恋の言ったとおり、妙には選択権があった。恋の頼み事をするかどうか。
 それは、明日明後日のことではないだろう。でも、すぐ先のことだと言っていた。妙にとって、決して難しい話ではなかった。
 妙は忘れることができない。恋の言葉、そして、その時の優しげな恋の表情。
 恋は妙に言った。
 “空音と、子供たちをお願いします。” 


 D
 恋(れん)は、夜中に一人、身支度を整えていた。
 正直言って、このときが来るのがここまで早いとは思わなかった。
 『虚無』の勢いは、想像以上であった。
 杏香(キョウカ)は既に、中央都市に帰っている。
 恋の子供も産まれたことだから、戻らないとね。と言っていたが、おそらく中央都市にも、『虚無』が出現したのだろう。挨拶も少なく、早々に帰って行った。『虚無』とまともに戦えるのは、もはや、杏香しかいない。
 『虚無』の意識は、日に日に増している。空音(たかね)にも、その発端は感じられているだろう。『闇』の力がいつもと違うと、言っていた。世界が『虚無』に傾きつつあるのだろう。その影響で、『闇』も力が増していると考えられる。いつもなら、それほど難しくない『闇』との戦いに、苦労した様子が空音に窺えた。
 時が経つごとに、可能性はだんだんと弱くなる。『虚無』が強まれば強まるほど、恋の望みは叶えられない。
 だから、急ぐ必要があるのだ。
 そして、恋がこの時間を選んだのは、一つ『虚無』を挑発するためでもあった。
 戦いのための身支度を整え、恋はそっと、部屋を出た。
 空音と、そして、可愛い子供たちが静かに寝ている。その光景を焼き付けるようにじっと見つめ、恋は、部屋の扉を閉めた。空音はしばらく目を覚まさない。恋が、“力”で眠らせたためだ。
 玄関に向かう途中、妙(たえ)と出会った。規則正しい妙にしては珍しく、この時間に起きていた。
 「れ、恋さん…」
 恋の姿を見て、妙は驚いた。空音が『闇』と戦うときの姿とよく似ていたからだ。
 「妙さん。後はよろしくお願いします。あなたなら、安心です。」
 そっと妙の顔をなで、恋は微笑んだ。
 鈍感ともいえる妙でも、わかった。恋のこの前の話が脳裏によぎる。
 「れ、恋さん!でも…」
 「いってきます。」
 妙には、まだ迷いがあった。しかし、運命に向かい去っていく恋を見て、妙の心に今までにない変化が起こり始めていた。……強くなる…。
 恋さんの言っていたことが本当なら、もう戻ってこない…。
 あのときの二人きりの話で、少し、恋のことがわかったような気がした。そして今、妙は、恋の「夢」に、少しでも手助けしたいと思った。妙の心は純粋だった。
 すでに姿なき恋に向かい、妙は、深々と頭を下げ、心の中で、いってらっしゃい、と呟いていた。



 戦い方は、それほど変わらない。
 相手が、『虚無』でも『闇』でも、戦い方にそれほど差異はない。
 『闇』と『虚無』は、似ている部分はある。違いは、存在の根本的性質。目的。場所。出現理由。
 『虚無』の目的は、すべての無、である。光、そして、闇もさえ、無に帰すこと、それが、『虚無』の存在意義である。
 そのことを思うと、『闇』より『虚無』の方が、上だということが、能力的に上だということが考えられた。
 存在の打ち消し。『闇』と戦うときは、光の意志を持って戦う。そのことで、闇を光で打ち消せる。
 『虚無』と戦うときは…。

 『虚無』の本体は、この世界空間にはいない。本体は別空間にあり、恋がいる空間に干渉するために、その一部を現す。
 『虚無』が恋に物理的攻撃をするためには、恋のいる世界空間に出てこなくてはいけない。


 暗い夜道で、ひしひしと感じる重圧。
 恋は、すでに、『虚無』の息を感じていた。


 『虚無』が今ごろになって、現れた訳、意志を持った訳は、あの「お方」から聞いていた。それは、あくまで憶測だと言うことだが。
 それは、現在の世界の状況に影響する。世界自身が、消滅を考え出した…。それを感じ取り、『虚無』に意志が現れた。破壊する。無に帰す。


 重圧を感じながら、恋は黙々と歩いている。行き先があるわけではない。だが、戦闘の余波の影響を考え、人気のないところ、この町への影響が少なくてすむところを、実際の戦闘場所として選んでおく必要はある。
 殺気を感じた。
 『虚無』に、準備が整ったということであろう。
 恋は、走った。少し後ろを振り返ると、恋がいた場所に、妖しい霧が漂っている。相手の攻撃の手であろう。
 殺気は続く。
 恋は、相手の攻撃意志を感じながら、『虚無』の本体の場所を特定しようと意識していた。恋が、『虚無』を感じられるわけ、そして、戦える理由は、恋が、相手の空間に干渉することができるからである。それが、恋の持つ“力”の強さである。
 一撃一撃は脅威だが、避けることはさほど難しくなかった。相手の殺気を感じ取り、すぐに移動する。それで、避けられる。もちろん、普通の人間ができる芸当ではない。感覚の優れた恋だから、できることである。
 相手の攻撃の方向性を掴み、恋は、相手の居場所を特定した。一撃必殺。というより、一撃で決めなくてはいけない。現在の恋の“力”は、以前より遥かに減少している。長時間は使えない。
 恋は、“力”の目で、相手を確認し、そして…
 「魔法陣!」
 恋の前方、空中に銀色に輝く複雑な模様の魔法陣を出現させると、その魔法陣に、強い意志を込めて、
 「発!」
 魔法陣の銀色の光を収縮させ、魔法陣の中で、魔法陣もろとも爆発させた。
 ものすごい量の銀色の光が、飛び散る。
 その中で、妖しい黒紫の霧が消えていくのが見えた。
 殺気が消える。
 恋に攻撃を仕掛けてきた『虚無』の本体にダメージを与えた。
 意識が感じられなくなったところを見ると、その『虚無』は消滅してしまったのだろう。
 少し恋は、息をついた。
 戦いは始まったばかりである。本当の戦いはこれから…。
 「!?」
 意識する前に、恋は強い力で吹き飛ばされていた…。



 「!」
 空音は飛び起きた。
 今まで感じたこともない強烈な意識を感じ取ったためだ。
 子供たちが泣いている。
 はっとして、空音は子供たちに意識を向けた。
 「ああ、よしよし。」
 と一人一人抱きかかえて、あやす。
 子供たちは泣き止まない。
 少し途方にくれた空音だが、すぐに気を取り直す。
 「どうしたものかな……。恋?」
 空音は今、気づいた。恋がいない。
 「と、当主様。どうされました。」
 扉の向こう。妙がいる。
 「…?ああ、子供たちが…。妙、入ってこい。」
 妙はひそひそと部屋の中に入る。
 「すまないが、この子達を見てくれ。」
 「?は、はい。ですが、当主様は…?」
 一人抱きかかえられた子供たちを妙に預けると、空音は衣服を整え、部屋から出ようとした。
 「…恋を探す。」
 子供たちに少し視線を向け、小さな声で言う空音。
 「いけません!」
 走り出そうとした空音は、その考えもしなかった妙の大きな声に、びくっとして立ち止まった。
 「…い、いけません。子供たちを放っていっては…。」
 大きな声に本人自身びっくりしたのだろう、妙は消え入るような声音で言う。大きな声にびっくりした子供たちは、さらに大きな声で泣き出した。妙は、空音のことを気にしながらも、子供たちをあやすことに集中した。
 「…すぐに戻ってくる。」
 子供たちに目を向け、そして、一生懸命、子供たちを抱きかかえる妙を、空音は真っ直ぐ見つめた。
 その視線に、妙は、空音の方を見れない。だけど、言わなくてはいけない。
 「行っては駄目です。お、お願いです。」
 妙にとっては、勇気のいる一言だった。
 「どうしてだ?」
 空音はじっと、妙と子供たちを見ている。空音は動けないでいた。
 「それは…。」
 ぐっと、息を呑むと、妙は決心して、言った。
 「恋さんとの約束です。恋さんが望まれていることだから…。」
 そして、妙は、少し語った。恋との会話を。



 「くっ!」
 強い衝撃を受け、恋は、一瞬、意識が遠のいた。が、すぐに回復して、すぐさま、状況を確認する。
 体中痛いが、致命傷でない。今、攻撃を仕掛けてきた相手は、前方、離れた所にいた。
 笑っている。
 雲がない、月明かりの下、人の形をしたそれは、恋を見て笑っている。
 ものすごい強烈な重圧だった。
 今までに感じたことのない強烈な意識。今にも、その意識に飲み込まれてしまう感覚に恋は震えた。
 「…『虚無』ですか……。」
 恋は痛みを堪えて立ち上がり、しっかりと態勢を整える。
 『そうだ。我こそ、本当の『虚無』の意志である。』
 30歳ほどの男性だろうか。しっかりとした体型、鋭い眼差し、腕を組んで、それは立っていた。
 『長い時がかかった気がする。だが、ついに来た。『虚無』がこの世界に出現するときが。』
 震える笑い。男性の姿をしたそれは、全身で喜びを表していた。
 恋は、驚いている。『虚無』が本体ごと、この恋のいる世界空間に現れているのだ。それだけの自身、そして、圧倒的な力があるのだろう。
 「…ここは、あなた方がいて、いい場所ではありません。」
 恋は低く構え、すぐにでも動けるようにしている。
 『ふっ。そんなことはない。お前を倒し、じわじわとこの世界を“虚無”に変える。』 「例え、わたしが倒されても、あなた方の思い通りにはなりませんよ。」
 恋は、走った。相手の横に流れるようにして走り、そして、その相手に向け、手を突き出した。
 「魔法陣!」
 銀色に光る魔法陣が、相手の足元に出現する。
 「!!」
 恋が、強く念じると、魔法陣から発せられる銀色の光の束が、鎖のように、相手の体に絡みついた。
 魔法陣の光で絡められた『虚無』の男は、面白そうに笑っている。
 恋は、素早い動きで、魔法陣の近くまで走り、そして、いつのまにか手にしていた短剣を、振りかざした。
 「斬!!」
 魔法陣の手前で、短剣を振り下ろす。その動きと全く同じように、魔法陣の中で、一筋の光が、上から下へと相手の男を切り裂いた!
 そして、魔法陣は男を包み、魔法陣は収縮する。
 バン!!
 強烈な破裂音がこだまする。
 月明かりを燦々(さんさん)と浴びて、恋は立っている。激しく息をしながら。
 その姿は綺麗だった。
 だが、表情は青ざめている。体に無理がきていた。
 「…やはり……。」
 苦しそうに呟く恋。
 全く避けようとしなかった。相手にとって、防げるものということか。
 案の定、『虚無』の男は何もなかったかのように、腕を組み、同じ姿勢で、同じ表情で笑っている。
 『我が『虚無』の意志の前には無力だな。少しは期待したのだが、当てが外れた。ここまで、差があるとはな。』
 恋は後ろに飛び下がった。少し間をとる。
 当てが外れた…
 だが、恋には、予想の範囲内である。計算の中に入っている。
 「…わたしの全力です。もはや、なにもありません。殺しなさい。」
 息を整え、恋は真っ直ぐ立った。覚悟の表情である。
 『ほう。諦めるか。まあ、いい。つまらない戦いだった。』
 『虚無』の男は、ゆっくりと片腕を上げた。
 『お望みどおり、終わりだ。』
 そして、恋に向かい、ゆっくりとその腕を下ろす…。
 その一瞬……
 (諦めてなどいません。わたしの夢はこれから始まる。)
 恋は微笑んだ。



 妙の話を聞いた上で、空音は走っていた。
 空音にとっては、恋がすべてとも言えた。
 今の空音は、子供より恋を選んだ格好になってしまっている。
 空音もそれを実感している。
 最低の父親だな…。
 心の中で呟く。
 最初に感じたあの強烈な意識が、恋を奪う…。
 そう考えると、感情が爆発しそうになる。意識をコントロールできるのが、夢創としての強さなのに。
 強烈な意識。『闇』ではない。『虚無』と呼ばれる奴なのだろう。
 その場に行って、空音に何かできるわけではないだろう。空音には、『虚無』と戦えない。彼自身、わかっていた。『虚無』の前で無力だとしても、それでも、空音は恋の力になりたかった。どんな形でも。
 走る。
 恋のことしか、頭になかった。恋のもとに行く。それが、今の空音のすべてだった。
 光が、空音の瞳に映った。
 月明かりが、一点に降り注いでいるのが見えた。
 そこに恋がいる…?
 月明かりが消えた。暗闇の中、それでも、空音は全力で走っていた。
 空気が震えた。
 そして、最後に空音は見た。恋の横顔を。



 朝。
 妙は目を覚ました。空音の子供たちが隣にいる。すやすやと安らかに三人の子供たちは眠っていた。
 妙は起き上がり、子供たちを見つめていた。そっと、布団をかぶせ直す。
 扉が開いた。
 朝の寒さを感じる風が、部屋の中に流れてきた。
 妙は振り返った。
 空音が立っていた。
 妙は泣き出しそうになった。
 今まで見たことのない空音の顔。絶望と、それでいて、諦めてはいけないほんのわずかの心。こんな空音を見たのは初めてだった。今にも折れてしまいそうだった。それでも、立っている。いや、立っていなければならないのだろう。
 「…私は、その子達の父親か?」
 空音はぐっと拳に力を込め、言った。
 「置いて行こうとした、こんな私でも、父親か?」
 妙は涙で前が見えなかった。でも、言わなくてはいけない。
 「…はい。そうです…。」
 「…そうか。なら、どうしたらいい。私はこれからどうしたらいい。」
 妙は涙を拭いて、空音の前に立った。
 そして、勇気を出して、空音をそっと抱きしめた。
 「…あなたの子供たちのために生きてください。そして、わたしのために…。」
 空音は泣き崩れた。しかし、声は押し殺していた。今安らかに眠っている子供たちを起こさないために…。



* *
 「妙さんの気持ちは知っています。だから、わたしがいなくなった後、あなたが、空音を支えてあげてください。彼を愛して。あなたなら、わたし以上に彼を想えるはずだから。」

* *
 その恋の横顔が、そっと前に見えた。空音は、彼が映る恋の瞳を見た。
 「ごめんなさい。それと、今までありがとう。…子供たちをお願いします。それが、あなたがわたしに語ってくれた夢なのですから。」
 瞳が見えなくなる。
 空音は叫んだ。今までにない、感情を込めて。
 「恋っっっっっ……!!」

* * *

 “虚無”の中。世界。“虚無”の世界。
 彼女は微笑んでいた。
 「わたしは、あなた方に嫁ぎましょう。あなたたち『虚無』の嫁になりましょう。』
 恋は、“虚無”の中、ゆっくりと語った。
 恋は、自身の“夢”に『虚無』を取り込んだ。あの『虚無』の男をすべて飲み込んだ。
 『い、い、だ、ろ、う。お、前、は、い、ま、か、ら、我、が、虚、無、の、妻、だ。』
 “虚無”が震える。『虚無』の中心。それが、今の言葉の主だった。

* * *

 忘れることができない。
 それでも、良かった。
 こんな私でも、支えてくれる人がいる。
 そして、見守っていかなくてはいけない者たちがいる。
 私は、生きよう。妙と、そして、子供たちと共に。それが、私の夢だ。
 恋が与えてくれた夢。



 エピローグ

 “夢の力”を受け継ぐ者。
 現れた。夢創の者。
 純粋な意志。清らかな心。
 わたしが待っていた人。わたしの夢を叶えてくれる。
 ねえ、そうでしょう。空音の子孫。夢創の力を持つあなた。
 夢創・・・・・・・・・。


   (<夢と>   完)  

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