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            近くの迷惑者

   道。
 道があるから人は歩く。よく言ったものだ。
 私の前に道がある。普通の道といっていいだろう。狭いこの道に、車や歩行者が我関せずと通っている。当たり前のような風景。疑問に思うほうがおかしいのかもしれない。
 でも、疑問に思わずに入られない。
 ついこの前に、起こった事件。この道で起こった話。
だれも、知らない。それはそうだろう。新聞、テレビに出ていない事件。
深夜の引ったくり事件。被害者は私のところに転がり込んできた。
『灰川探偵事務所』

本来なら、警察に転がり込むべきだろう。しかし、それができなかった。
1億。横領した金。警察に知られたら、被害者が捕まる。
奪った金を別の奴に奪われる。おかしな話だ。
道は続く。続くからおかしな話も本当になる。

「・・・で。」
暗い部屋。狭い道がここから見える。
汚れたビルの4階。小さな借り部屋が私の根城だった。
「で、とはなによ?」
暗い部屋の中にもう一人、暇そうな顔をしている女がいる。
私と同じ苗字で灰川 美央(はいがわ みお)という名前だ。
「で、そんなところで何をしている?」
「暇だから、遊びに来たの。」
「それで、暇そうにしているのは本末転倒だと思うが。」
「・・・・・ここにくれば、おもしろいことあるかなぁと思って。」
と言って、勝手に奥の台所へと向かう美央。
美央は22歳。大学4年生と言っていた。あまり派手でない清楚な感じの奴だ。こんな薄汚い所には似合わないように思える。
3ヶ月前ひょっこり来て、その日からちょくちょくくるようになった。
3ヶ月前、どうして来たのかと聞くと
「同じ苗字だから、気になって。」
もう一度強く聞くと
「就職先探してるの。代わりに探して。」
・・・のことだった。舐められたものだ。
道。道があるから、美央はここまで辿り着いた。
道は遮断できないのか?

「・・・・・・これだけ?」
美央が奥から出てきた。手には私の貴重な食料のカップラーメンを持っている。
「なにがだ?」
「今日の収穫。」
「何の収穫だ?」
「わたしの収穫。」
「持って帰るのか?」
「ここで食べるの。」
さらりと奴は言う。
「おい。」
私は窓辺から離れ、美央の手のカップラーメンを奪い取る。
「なにするの・・・。」
美央は非難げな瞳で私を見ている。
「それはこちらの台詞だ。用がないなら帰れ。」
「あなたも用ないのでしょう?暇そうに外、見ているだけだし。」
「それが仕事だ。」
最後はきつくそう言った。もうお前とは話さないという意思表示だ。
遮断したと言ってもいい。これで、美央は私の領域に入る道がなくなったわけだ。
窓辺から外を見る。先ほどと何も変わらない道。通る人や車も同じに見える。
ただ観察しているわけではない。
調べてみて分かったことがある。
犯人はこの道を通っている。普段から、何気なく。

「・・・・・ねえ。」
美央が呟くように小さな声で私に話し掛けてくる。
まだいたのかと言うのが本音だった。とっくに帰ったものと思っていた。
私は無視した。自分から遮断した道を復興する必要はない。
「ねえってば!」
私の耳元で大きな声で叫ぶ美央。
「なにするんだ!!」
耳の中がジーンとしている。思わず、振り返って叫んでしまった。
美央と顔が合う。にっこり笑う彼女。かなり可愛い。
でも、そんなのはどうでもいい。美央との道を作ってしまったことに私は後悔していた。
「まだ、いたのか。なんだ?」
「何の仕事?」
「守秘義務っていうのがある。いえないな。」
「この前の引ったくりの件?」
「・・・・・どういう意味だ。」
私の疑問を投げかける視線に、美央は茶色く染めた髪を触りながら、遠い表情をする。何かを考える時の彼女の癖だ。
「わたし、帰り道だったの。その日の深夜。」
そう言って、ちらっと私の様子をうかがってくる。
「見たのか?」
「遠くから。相手の顔は見えなかった。」
やっぱり、道とはおかしなものだ。どこでどう繋がっているかはわかるものではない。
「なら、必要ない情報だな。」
「どうしてよ。目撃者がここにいるのよ。」
「私が知りたいのは、犯人が誰かだ。はっきりしたことだ。あいまいな話は必要でない。」
「・・・・なら、これならどうなの?」
と言って、美央は私の顔に奇怪な代物を押し付けてくる。
妙な形のオブジェ。そう表現したらいいのか。何に使うのかさっぱり分からない。
「なんだ?これは。」
表裏、360度観察しても、ただの飾り以外に使えそうな用途がない。飾り物としても私なら遠慮したい物だった。
「落としたの。その引ったくりの人が。」
そう言う美央の瞳は輝いている。勝利者がする顔だ。
「・・・なんで、落とした?」
「・・・やっぱり、焦ってたからじゃないの?かばんからぽろり。急いでたからそのことに気づかなかったみたい。」
意外な展開だ。道の先には何があるのだろうと、思ってしまう。
「しかし、これだけではなんともいえないな。これを売っている所でも探すか。こんな物買う奴も珍しいから、店も覚えてるだろう。」
窓辺から立ち上がろうとする私を、美央は押さえつける。
「なにをする?」
「探しても、無駄。絶対それを売っているお店見つからない。」
確信のある表情でそう言う美央。
「それなら、お前は知ってるのか?これのこと」
美央は笑った。勝利者の笑みだ。
「そのカップラーメン、ほしいな。」
おねだりしてくる。交換条件っていう奴か。
「教えてくれたら、やろう。」
「うん。それね、この前の夜店の飾り物。・・・ほら、1ヶ月前大学で夜店大会したでしょう?そのときのあるグループに使ってた奴。」
「何でそこまで詳しい。私も行ったが、大量の店が並んでいた。こんな物があったとしても気づかないだろう。」
「わたしの隣の夜店だったから。ほら、あの射撃屋。」
美央のグループは綿菓子だったか。大量に食わされて気を失いそうになった。確かにその隣は射撃屋だった。
「ふふん。どう、役に立つでしょう、わたし。」
「犯人わかるのか?」
「わからないけど、そのグループの人が誰だったかは分かる。」

道が続く。いつもの道。狭い道に、車や人が我関せずと通っている。
美央が通う大学はここから離れている。普通にはここを通って大学に行く奴はいないだろう。そう、ここを毎日通る必要のあるやつ以外は。
午前9時。見つけた。美央から貰った写真にある顔の奴だ。
私は、すばやく奴に近づく。
道がそこにある。だから、私は歩く。
その道の先には、きっと、良いことがあるだろう。

やはり、そいつが犯人だった。
しかし、依頼者にお金は返らなかった。今そのお金は警察の元にある。

     (完)

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                 近くの迷惑者   NO2

  
 静かだ。
季節外れの涼しい風が、私の横を通り過ぎていく。

遊ぶかのように風に揺れ動く草々。頭の上には、この世の物とは思えない綺麗に青く染まった空が見える。
私以外に誰もいない。草原・・・・・・。
子供の頃をつい思い出してしまう風景がそこにはあった。

 とある仕事を一つ片付け、その依頼人からもらった一枚の旅行券。
折角だからと思い来てみると、これはまた寂しい所に来てしまったようだ。
時期外れらしく、私の泊まる旅館にはほとんど客がいない。
それどころか、この辺りには旅館がぽつんとあるだけで、それ以外の建物は何もない。

 私は草の布団の上で寝転びながら、真っ青に染まる空を見ていた。雲ひとつない。じっと見ていると、時間が止まったかのように思える。
 「あの、よろしいでしょうか?」
聞いたことのある声が聞こえる。
私は起き上がり、声の主の方へと向く。
 旅館を経営する三姉妹の一人が何か困ったかのような顔をして、じっと私のほうを見ていた。
 「何か?」
 確か、和子と言ったか、30過ぎの次女は私の近くまで来て、誰にも聞こえないような音量で話し掛けてくる。もちろん、ここには私たち以外はいないのだが。
 「あの、困ったことがありまして・・・。」
 顔を見たらそれぐらい判断つくが、まあいいだろう。
 「確か探偵とおしゃっていましたから・・・。来てもらえないでしょうか?」

 旅館に戻ってくると、一人の男が大きな声で怒鳴り上げている。
長女の夏子はじっとその罵声に耐えているようだった。

 話しはこうだ。
ある日、ある男が、これは高価で大事な物だからと言って、丸い水晶のような宝石をこの旅館の者・・・夏子に丁寧に預かるように頼んだ。
2日後、この名前の客が、その宝石を取りに来ることを言って、その男は姿を消した。幾ばくかの謝礼の金銭を夏子に手渡して。
そして、案の定、2日後―今日だが、聞いていた通りの名前の男がやってきて、宝石を渡してほしいと言う。
旅館の三姉妹は保管していた金庫へ宝石を取りに行くと・・・・・
金庫の中にちゃんと置いてあったはずのその宝石が、姿かたちもなくなり消えてしまっていた。

 というわけだ。
 夏子とともに男の罵声を受けていた三女の雅美は、今にもその男に掴みかかりそうな表情をしている。
だが、男はそんなことも気にせず、言いたい放題、怒鳴っていた。

 「その保管場所へ連れて行ってもらえるか?」
 私は隣でおろおろしている和子に強い口調でそう言った。
 「は、はい。それは構わないのですが・・・・・・。」
 歯切れの悪い口調で和子は言い、夏子たちの方を気にしながらも、保管場所へと歩いていく。

 三姉妹の寝室。綺麗に片付けられた部屋のさらに奥に例の金庫があった。
金庫のある部屋は周囲を固い壁に覆われ、まあ簡単に言うと、三姉妹の寝室を通らなければ来ることができないようになっている。
 「せっかくだが、開けてもらえないか?」
 夏子たちのことが気に掛かるのか、姉妹たちがいると思われる方角をじっと凝視している和子に、そう声をかける。
 「それが・・・・」
 ちらっと私を窺った和子だが、なにかまだ困ったことがあるらしい。
 「その金庫は、わたしたち三姉妹が揃わないと開けれないのです。」
つまり、こういことだ。
この金庫は三重のロックがあるわけだが、一つ目のダイアル式の暗号を和子、二つ目の鍵を夏子が持ち、三つ目の指紋照合を雅美が担当する。
三人が揃って、この金庫が開くという仕組みらしい。
 ただ、ダイアルの暗号にしても、指紋にしても、はたまた鍵に関しても、何とかなりそうだなと私は思った。この三つを集めれば一人で開けることが出来る。
私はそのことをはっきりと和子に聞くが、和子は言葉を濁すだけだった。
自分を含め、姉妹がその宝石をどこかへ隠したとは思いたくない。そういう感情が和子から読み取れた。

 ロビーの方へと戻ってみると、男の姿はもうなかった。
 夏子は疲れた顔で椅子に座り、雅美は怒り収まらぬという感じであらぬ方向を凝視していた。
 「夏子姉さん、あの男の人は?」
 和子は夏子の側に行き、そっと聞いている。
 「・・・・・・警察を呼んでくるって。」
 「警察が何よ!あたしたち何も悪いことしてないじゃない!!」
 夏子の疲れた声の後に、雅美の怒りがロビーにこだまする。
 「まあ、待てよ。」
 熱くなっている雅美に冷静な声音で話す私。
 「・・・あんた、たしか探偵って言ってたわね?」
 「和子。その人に話したの?」
 雅美と夏子はじっと私を見つめる。その瞳には疑いの意識があった。まあ、信用されていないと言うことだ。
 「え、ええ。だって、何か助けてもらえると思って・・・。」
 和子は困った様子で私を見る。
 「私が話を聞いてしまったことは、もうしかたがないことだ。問題は、これからどうするかだ。一番良いのは、私に金庫の中を見せることだと思うのだが。」
 「見せてどうするのよ?何もないのよ。急に消えた物を調べれるわけないじゃない」
 雅美は強い口調でそう言う。
 「何か証拠があるかもしれん。深く観察しないとわからないものがな。」
 「大事な物がしまってあるのです。他人であるあなたに見せるわけには。」
 夏子は丁寧な口調でそう言ってくる。
 「他人であることには違いないが、これからどうするつもりなのだ?」
 「他人であるあんたは関係ないということよ。さあ、どっか行ってよ。」
 と雅美はぱしっと向こうへ行けと指差す仕種をした。
 最初に話し掛けてきた和子はどうしようもないという表情で私を見ていた。
つまり、どこかへ行ってくれと言うことだ。
 ふー、
私は一つため息をつき、雅美に指差されたとおりの方へと歩くことにした。
 「・・・・・・待ってください。」
 少し歩いた所で、夏子の声がする。
 「お姉ちゃん!?」
 「・・・・・・助けてくれませんか?」
 夏子の瞳には強い意思が宿っていた。私はその意思に答えるように力強く頷いた。


 金庫の前。
 和子は私たちに見えないように隠しながら、ダイアルキーを回している。
 しばらくして、和子は私たちの後ろへと回った。一つ目のロックを解除したらしい。
 夏子は隠し持っていた鍵を取り出し、二つ目のロックを開ける。
 そして、雅美が最後に指紋をセンサーに当てながら金庫の扉を開けた。
 重い金属音の後、金庫の扉は完全に開かれる・・・。

 「さて、どこに置いてあったのだ。」
 あまり大きくない金貨の中には、印鑑袋やいくつかの重要な書類が置かれてあった。確かに、宝石のようなものが置いてあった形式はない。
 ただ・・・
 少々、金庫の中から水気がした。紙類もあり、保管環境としては気になる。
 長女の夏子はそのことに関しては首をかしげていた。
後の2人は不思議そうな様子で私の指摘を聴いていた。
 「悪いが、少し下がっていてくれ。よく中を確かめたい。」
 私の言葉に、夏子はさっと向こうへ歩く。後の2人もそれに合わせて、私から離れる場所へと行った。三女の雅美は気に食わないような表情をしていたが。
 三人は私の邪魔にならず、それでもって私の様子を見える位置に立っている。
完全には信頼されていないと言うことだ。まあ、そのほうがいいのだが。
 私は金庫の中を覗き込むようにして見た。暗いので、携帯しているペンライトを点灯する。
 金庫は数段に分かれたおり、宝石は一番上の、金庫に最初から用意されている宝石入れのような形の箱の中に入れてあったらしい。そのあたりをペンライトの光を当てて観察する。
 ふーむ・・・・・・なるほど。
 簡単なことだ。いや、うまく騙したといったところか。
 水気、やや熱い金庫の中、そして・・・金庫の備えてある水分を吸い上げる乾燥剤。あとは・・・・・


 例の男が戻ってきた。警官姿の男を二人連れて。
 私の存在に、眉をひそめる例の男だが、知らない振りをして、三姉妹に詰め寄った。
 「警官を連れてきたぞ。どうするつもりだ。」
 確信のある声音で例の男は言う。
 私は三姉妹に代わり、男の前に立った。
 「何だ、お前は!」
きつい口調で、その男は言う。感心しない男の態度に警官の男たちは無関心だった。
 「これで、いいのだろう。」
 私は、例の宝石を男の手に渡した。
丸い水晶のような宝石。透明に透き通ったその表面は光が反射し、綺麗だった。
 「うっ・・・・!そ、そうだ・・・これだよ。な、なんだ、あったのか。な、ならいい。」
 男は、その宝石を素早くポケットにしまうや、焦るようにさっさと玄関へと出て行った。警官の二人は私の目配せに、ただ、何も言わず出て行く。
結局何も言わなかったな、あの警官たち。と私は思いながら、その後ろ姿を見つめていた。

 「ありがとうございます。本当に。」
 和子は嬉しいのか涙を浮かべている。
 「ま、まあ、やると思ってたわよ、あたしは。」
 調子のいいことを言う雅美。
 夏子は優しい微笑を浮かべ、深々と頭を下げていた。


 私は、その旅館を後にした。三姉妹の熱い見送りを受けながら。
 空は変わらず、青一色だった。そう、時間が止まってるかのように。


 「このお金はどうしたらいいのでしょう?」
 例の男が帰ったあと、夏子が私に聞いてくる。宝石を預かる時に貰った金だ。
 「貰っておくといい。迷惑料のつもりでな。」
 私はそう答えて、思わず笑ってしまった。
 夏子もつられて笑う・・・。

 簡単なことだ。はじめから、宝石などなかった。いや、宝石と思われていた物は本当は宝石でなかった。
 でも、見た目は宝石そのもの。だから、気がつかなかったのだろう。本当は“水”で出来ていたことに・・・・・・。

       (完) 

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近くの迷惑者  NO3

 「どうして、私が解決しなくてはならないのだ。」
ここは、私の根城の探偵事務所。
『灰川探偵事務所』
自分で言うのもあれだが、いつ見ても汚い。掃除はしても、そもそも部屋自体が汚い。綺麗にしても、汚く見えてしまう部屋。いつのまにか、掃除する気も失せた。
しかし、簡単な掃除も怠ると、部屋の雰囲気はさらに汚れた惨めなものになる。
・・・つまり、日々の努力は必要と言うことだ。
ということで、私は探偵事務所の掃除をしていた。雑巾を持って、色んな所を拭いている。
 「暇そうだから、いいじゃない。」
飽きもせず、私のところに訪れるこの女―灰川美央は、何のつもりか、一緒に掃除を手伝っている。
 「・・・暇そうに見えるか?」
バケツの水で雑巾を絞りつつ、私は美央の方をチラッと見る。
彼女は散らかったゴミをヒョイヒョイとゴミ袋の中に入れているところだった。
 「暇だから掃除してるのでしょう?」
 「・・・・・・」
難しい命題だ。確かに“仕事”でバリバリ忙しくしていたら、掃除する暇もないだろう。確かにそういう意味では、暇だが・・・。
 「これも、仕事のうちだしな。」
と自分に言い聞かせるように、ポツリと呟く。
 耳のいい美央はその呟き声を聞き逃さなかったようだ。
 「お金入るの?」
 やる気のなくす一言が私の胸に刺さった・・・。

 「結局付き合わされるわけか・・・。」
 美央に連れられて、彼女が通っているという大学へと入っていった。
 「お前、就職活動はいいのか?」
 夕方なので、運動系サークルの掛け声があちらこちらから聞こえる。
帰ろうと談笑しながら、通り過ぎていく男女もちらほら。
 「・・・あなたが、探してくれるのでしょう?」
当たり前のようにそう言って、美央は目的の場所へと真っ直ぐに進んでいた。
 「だから、いつ探すと言ったのだ。」
 「うーんとね、4ヶ月前か食事をおごったとき。」
 「・・・・。カップラーメン一つで、何で一文の得にならないことをしなけりゃならないのだ。」
 「そのことについては、あとでじっくり話し合いましょう。」
 美央は急に立ち止まり、私のことをじっと見つめてそう言う。
私が何か言おうとしたが、その前に美央は近くのドアを力強く開け、そのまま何の躊躇もなしにそのドアの向こうの部屋に入っていった。
 「・・・・・・」
私は、ついため息をもらし、しぶしぶと美央の後を追うことにした。
部屋に入る前に、ドアの上の壁に貼られているプレートを見遣る。
『美術サークル室』と書かれていた。
 

 美央の話はこうだった。
 美術サークル―今のところ、男3人だけらしいが、ある美術品を作り上げ、それがあまりのいい出来だったらしく、面白半分で幾らになるのか鑑定してもらったらしい。
どうせ良くても、1万かそこらかと美術サークルの3人は思っていたようだが、結果は「100万円の価値がある」と言うこと。
その日から、3人の間に何やらの亀裂が入り、この美術品を巡る争いがおこる。
売るか売らないか、売るとしたら分け前はどうするか、話はつかなかった。
そんなある日、昨日のようだが、事件が起こった。
その美術品がなくなったのだ。この美術サークルの部屋に保管されていたらしいが、そのサークルの3人が、1時間ほど大学の食堂に行っていた間に、消えたらしい。
そのとき、その部屋の鍵は、3人のうちの一人、部長の橋田が持っていたということ。つまり、その橋田が独り占めしようとどこかへ持ち出したのでは、と後の2人川田と、合田は疑う。しかし、橋田は反論。「その間、ずっと、お前たちと一緒に食堂にいたじゃないか」。

 
 私が部屋にはいるや、その問題の3人は、憮然とした顔で離れて座っていた。
美央が、私を見るや私のことを適当に紹介している。
ここに来る前に、どうして美央がこの3人の事件に関わっているのだと聞いたら、「偶然知ったの。面白そうだから。」と言っていた。
確かに、今もなにやらウキウキしているようだ。
 「と言うわけで、彼探偵だから。そういうことで、早く解決して。」
最後の「早く解決して」とは私に向けられた言葉らしい。
私はそれを無視して、とりあえず、それほど広くないこの部屋を見回った。
 「これは何だ。」
壊れたガラクタのような物が、一つの入れ物の中に押し込まれている。
サークルの3人は急な問いに戸惑っていたようだが、その入れ物の近くにいた合田が「それ、失敗作を捨てておく箱です。ある程度溜まったら、ゴミ捨て場に捨てますけど。」と言った。
 「・・・だいぶ粉々にしてあるな。」
その捨て箱の中は原形をとどめている物はほとんどない。
 「ああ、かさばるから、出来る限りこなごなにしてるんですよ。」
と川田が言う。
 「失敗作でも、自分が作った物だろう。ここまで、粉々にしなくてもいいなだはないか?」
 「・・・失敗作で、見たくもないから、粉々にするんですよ。」
とぶっきらぼうに橋田が言った。
 「そんなことより、探偵かどうか知りませんが、さっさと、僕の無実をこの二人に言ってくださいよ。僕には、アリバイがあるんですから。」
橋田はそう言って、後の二人をじろりと見る。
二人も、険悪な表情になっている。
 「まあ、待て。」
私は、その3人の中に入り言った。
 「とりあえず、その“アリバイ”の検証をさせてくれ」

 このサークルの部屋から、食堂まで歩いて5分ほどだった。走ったら、2,3分で着くだろう。
 「ずっと、一緒にいたのか。」
食堂の中には、ここの学生だろう。数人が固まって談笑している。
 「ずっと、一緒にいましたよ。」
と橋田が言う。
 「本当に一緒にいたのか?・・途中でトイレに行ったとか。」
 「ああ、そういえば、川田と部長は途中でトイレに行きましたよ。」
 「トイレに行ったとしても、5分もかかってませんよ。戻ってくるまで。」
合田の言葉に川田がそう言う。橋田も川田の言葉に頷いていた。
 「・・・。走ったら、2分ぐらいでいけるじゃない。5分もあれば、部屋に行って、その美術品どっかに隠して、戻ってくるぐらい出来るじゃないの?」
 美央が横からそう言ってくる。
 「それは無理ですよ。」
そんな美央の疑問に、川田が答えた。
 「僕たちもやってみましたけど、部屋に行って、鍵を開けて、どこかに隠すのは5分では無理でした。」
 「とくに、どこかに隠している暇なんてないですよ。実は、消えてしまったのを知って、部屋中みんなで探したけど、見つからなかったし。」
 川田に橋田がそう続く。
 「つまり、部屋の中に隠したわけではないと思うのだな?」
3人は、頷き、
 「そう思って、他の場所も一緒に色々探しましたけど、結局見つからなくて・・。」
 合田はそう語る。
 「ふむ。とりあえず、探したと言った場所を見て回るか。サークルの部屋以外でな。」
 私の言葉に、3人は渋々とだけど、歩いていった。

 「・・・ここを通れば、1分ほどでいけるのではないか?」
色々と歩いている途中、私はぽつりと呟く。
 「・・・。この扉、いつも閉まってますよ。」
私の呟き声が聞こえたのか、橋田がそう言った。
 「非常用ドアって書いてあるが、いつも閉まっているのか?」
私はためしにそのドアを開けようとしたが、鍵がかかっているのか開かなかった。
 「でも、どうしてここを通れば、早く行けるの?なんか、全く違う方向に見えるけど。」
 美央が、私にそう聞いてくる。
 「まあな。ちょっとな。」
私はその質問をはぐらかした。
 「次の探したと言う場所に連れて行ってくれ。」
私はその非常用と書かれたドアがどうやっても開かないのを確かめてから、3人の後を追った。
 「結局、なかったでしょう?」
 川田が言う。私たちはは食堂に戻ってきていた。
 「やっぱり、部外者の人が犯人ですよ。」
 橋田がそう言う。
 「部長。そうは言うが、どうやってあの部屋に入ったんだ?」
 合田がそう聞く。
 「窓から侵入したのだろ。」
 「でも、戸締りはちゃんとするようにしてたじゃないですか。盗まれたらいけないって。」
 「昨日も、出て行くとき、ちゃんと確認したじゃないか。」
 橋田の言葉に、川田、合田がそう言っている。
 「・・・3人で確認したのか?」
 私はふと疑問になって、その3人の話の後に続いた。
 「えっ、僕と、川田が窓の鍵を調べましたよ。部長は早く部屋から出るように、急かしていましたよね?」
 合田はそう言って、川田と橋田を見た。二人は、軽く頷いている。
 「まだ、解決してないの?」
 疲れたような顔で美央が聞いてくる。少し、飽きてきたのだろう。・・・子供みたいな奴だな。と思うが、それは口にすまい。
 「ああ、あとちょっとな。悪いが一人で調べたいことがある。しばらく、ここにいてくれ。」
 私はそう言うや、4人が何か言う前に食堂を後にした。

 30分後、私は食堂に戻る。
 「遅い。」
 美央は、射るような視線でそう言う。何か食べたのだろう、彼女の座るテーブルの上には、幾つかの空のカップが並んでいる。
 他のサークルの3人も早く帰りたそうな顔をしていた。
 「悪いな。とりあえず、解決したからいいだろう。」
私のその言葉に、美央も他の3人もびっくりしている。
 「解決したって・・・?」
 「犯人は誰ですか!?」
 誰となくそう言ってくるのを聞きながら、私は説明を始めた。

 「この食堂から、あの部屋まで行って帰ってくるのに3分もかからないようだ。」
 「それは無理ですよ、何度かためしたけど、3分以上はかかりましたよ。」
 川田が言う。
 「普通にいけばな。ちょっと付き合ってくれ。」
 そう言って、私は先ほど行った非常用ドアの前に行く。
 「あのね、ここはいつも閉まってるのよ。」
 呆れた表情で美央がそう言う。
 「だったら、開けて見ろ」
 美央は嫌そうな顔をしながら、非常用のドアを開けようとする。
 「・・・?開いた。」
 「聞くところによると、定期的にここの扉を開けるようにしているらしい。換気のためと言っていた。だいたい夕方に5分から10分ほど開けているらしい。」
 私はそう言うや、扉の向こうに歩いていく。4人はその後についてきているようだ。
 「見ての通り、非常用扉の向こうは、中庭に続いている。知っているかもしれないが、サークルの部屋に行くのはこっちからだと、遠回りだ。普通に行けば、こっちの中庭を通る方が時間がかかる。普通に行けば。」
 私は、中庭を歩き目的の場所へと行く。
 「だが、ここから入れば、食堂から1分ほどでいける。」
 と私は1階にある一枚の窓を指した。
 「えっ、その窓は・・・。」
 「僕たちのサークルの部屋の窓・・・。」
 川田は気づいたらしい。
 「でも、窓には鍵がかかっていたのですよ。」
 合田がそう聞いてくる。
 「本当にかかっていたと言えるのか。」
 「ちゃ、ちゃんと、二人で見ましたよ!」
 「そう。二人で見た後、開ければすむことだ。」
 「!!」
 3人の顔に驚きの表情が浮かぶ。
 「でも、どうやって・・・」
 誰かとなくそう呟く。
 「実は言うと、部屋の鍵はどうでもいいのだ。本当は、自分が持っていない方がよかったのだが、部長なら仕方ない。」
 私は、部長の橋田を見る。美央と他の二人も橋田の方を見た。
 橋田は怒っている。
 「僕が、二人の見ていない間に、この窓の扉の鍵を開けたというのですか!」
 「そうだ。開けてないと言いたいのだろう?でも、開けていない証拠はない。」
 と私は、川田と合田を見る。そう言われると二人は、黙ったままだった。
 「も、戻ってきたとき、窓は閉まっていたじゃないか!?」
 「た、たしかに、盗まれたと思って、窓の鍵は見たけど・・・。」
 川田は自信のない表情でそう言う。
 「見たけど?」
 私が後を促す。
 「確かその窓は、部長が見たはず・・・。」
 橋田は怒りで顔を真っ赤にしている。
 「とうわけだ。君は、偶然にも非常用ドアがいつ開くのかを知った。そのために、悪知恵を働かせて、美術品を自分の物にしようとしたのだろう。他の二人に誰かに盗まれたと思わせて、あとは、いつでも処分すればいい。」
 「・・・!!で、でも、そういうのなら、川田にもできたんじゃないんですか!?いや、合田にも!!」
 「実は、君が犯人という証拠はあるんだ。」
 熱くなっている橋田を覚まさせるように、私は冷静にそう言った。
 「!!!どこに・・・?」
 橋田の身体は震えている。
 「この窓の心理的トリックは、まあ、誰でもできるかもしれない。もう一つの謎。目的の美術品はどこに行ったかだが・・・。」
 私はその窓を開け、部屋の中に入る。他の4人も入ってきた。
 「案外、ここからすぐ入れるんだ。」
 美央は一人感心している。
 「目的の美術品は、この中だ。」
 私が指したのは、失敗作の捨て箱だった。
 「な、なにをいってるんです?僕は、あの美術品をこの中に捨てたというのですか?」
 橋田はバカじゃないのか?という表情で私を見て、そう言った。
 「そうだ。」
 「粉々にして捨ててしまっては、意味ないじゃないですか。」
 「君は、この部屋に入り、すぐさま目的の美術品をこの捨て箱めがけて殴りつけて、壊した。その後、来た窓から出て、すぐに食堂に戻ってきたのだ。・・・まあ、4、5分もかからないだろう。」
 「はっ。探偵というけど、聞いて呆れるね。100万もする物を自分で壊す奴がどこにいるんですか?もしかして、他の人に取られたくないから、壊したなんていいませんよね?」
 橋田は挑戦的な態度に変わり、私を睨みつける。
 私はそれを無視して、続けた。
 「食堂から戻ってきた君たちは、100万もする美術品がないのに気がついた。それで、急いで、まず部屋の中を探し始めた。そのときに、橋田、君はこの捨て箱の中から、ある物を取った。」
 橋田の顔が次第に青ざめていく。
 「君の目的は、そのある物だ。それを、ポケットに隠したのだろう。あとは、探す振りをすればいい?」
 「ある物ってなんですか?」
 川田が聞いてくる。
 「石だ。正式には、宝石といったところか。君たちが作った美術品の飾りに石を使ったのだろう?」
 「確かに、汚い石を・・・。あれ、この部屋にあったので、使ったのですよ。いつ、誰が持ってきたのか知らないけど・・。」
 私の問いに、そう合田が答える。
 「きっと、もって来た奴も、宝石だと知らなかったかもしれないな。汚いのなら。でも、見る人が見れば、それでも、わかる。・・・・・・これがそうだ。」
 私は、その石・・・『宝石』を取り出した。綺麗な赤の色に包めれている。
 「きれい・・・。」
 美央が思わず見とれてしまうほどだ。
 「表面は薄汚れていたので、削って加工したらしい。と私の知り合いが言っていた。」
 橋田は青い顔で黙って、床を見ている。
 「君は、君たちが作った美術品に高い価値があるのではなくて、この宝石に価値があることを知った。あとで、鑑定人にこっそり、聞いたかもしれない。・・・昨日か、君はこの宝石を手にして、鑑定した人とは別の所に行き、この宝石を売った。宝石の売買をしている闇商人だが・・・。君は、君たちの美術品を鑑定人以外なら誰でもよかった。100万円ほどで買ってくれる奴ならな。運悪く、私の知り合いのところで売ったらしいが。
君たちの美術品を見た鑑定人のところで売れば、わかってしまうかもしれないからな。」
 「さて、私の知り合いは、律儀なやつでな。宝石を買うとき、相手に名前を書かせている。それが、これだ。橋田・・・。君の字だな。筆跡鑑定でもしてもらうか?
あと、この宝石が君の所有物でないことも言っておこう。実は、この宝石、ある人の持ち物でな。ずっと前に盗まれて私の間では話題になった品物であるんだ。
・・・さて、どうする?」
 私は、厳しい視線を橋田に向けた。橋田はそれに反応してか、崩れ落ち、探偵の言うとおりだといって泣き出した・・・。

 私は、雑巾を持って、この汚い壁を拭いている。
 『灰川探偵事務所』
 かの美術サークル宝石事件と同じく、この汚いものの向こうには、素晴らしい美しさがあるやもしれぬ。だが・・・
 幾ら拭いても、駄目だった。削るか?とも考えたが、さらに悪くなりそうな気がしてやめた。
 「ふー、今日もいい天気だな。」
事務所から空を見上げて、私は呟いた。
 耳のいい美央はそれが聞こえたらしく、
 「いい天気!じゃないでしょう?雑巾ほったらかしよ。」
 そう言いながら、美央はわたしの捨てた雑巾を綺麗にバケツで洗っている。
結構綺麗好きなようだ。
 「・・・そんなことより、いつ、おごってくれるのだ?」
 美央の雑巾を洗う手がぴたりと止まる。
 美術サークルの事件を私が解決する報酬として、食事をおごるという約束だった。
 「・・・。よ、良かったわね〜。これで、4か月前、わたしがおごってやったのがチャラになったわね。」
 「聞いたんだが、お前、“探偵料”としてあのサークルの学生から、1万円ほどもらったのだろ?」
 「ぎくっ!」
 「その1万、こっちによこせ。」
 「むりよ。」
 「・・?なんでだ。」
 「だって、もう使っちゃったんだもん!!さよなら〜」
 バタン!
 ・・・・・・
 そういうことか。
 この部屋の掃除手伝っていたのは、そういうことだったのか。
 私は、しみじみと一つの疑問の解決を知ることが出来た。
 「なにがなんでも、こっちによこしてもらうぞ!」
 私は美央が閉めて出て行った扉を開け、大急ぎで美央の後を追った。
 そうしないと・・・・、今夜の食事はどうなるのだ!?

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近くの迷惑者    NO4

 ここからの眺めはいつも何かを考えさせる。
 『灰川探偵事務所』
 この事務所から見える細い道には、いつもと変わらず、車や人が素早く通り過ぎていく。
友人同士ならいざしれず、この道を通る者は、誰も歩くことだけを専念しているように見える。いつも通るだろうこの道、同じ時間にいつも通るであろうこの道、しかし、この道を通る者は、他の者を意識していない。
狭い道を通る赤の他人として、他者を認識しているに過ぎない。いつも顔をあわせていても、赤の他人である以上、挨拶もなしに互いに通り過ぎていく。
それでも、そのどちらかが一歩踏み出せば、つまり、挨拶の言葉をかければ、全くの赤の他人という認識から離れ、一つの人間関係の形成の芽が芽生えることだろう。
だが、その一歩が難しい。拒否されたときの衝撃はいかばかりか・・・。

 「どうして、誰も来ないのだ。」
決して場所的に悪いわけではない。人通りの多いほうだ。にしても、我が探偵事務所には人が来ない。
事務所の窓には、外から分かるように『灰川探偵事務所』と書いた巨大なプレートが張ってある。かなり巨大だ。私の身長以上はあるのは当たり前で、ゴミとして出したら、ゴミ収集者は怒るのに違いない。誰だこんな巨大なもの捨てたのは、と。
人々は、早々と通り過ぎていく。歩くことをやめ、こちらの建物をチラッと見上げれば、このプレートの文字は見えるはずだ。だが、見上げることもおろか、立ち止まる者もいない。この様子だと、認識さえされていないのだろう。
・・・・・・衝撃的である。

 「なあ、いつになったら気づいてくれるの?」
ぱっと入り口の方へ振り向くと、子供が不機嫌顔で立っている。
まだ、小学生だろう。活発な格好をした男の子が冷めた目でこちらを見ている。
 「何のようだ。ここは遊び場じゃないぞ。」
 「・・・他にいうことはないの?」
少年の目は更に冷めていく。
 「ない。用がないのなら、帰れ。」
 「・・・・・・。」
 少年はうつむき、何かを考えているようだ。おそらく、拒否されたことで、大きな衝撃を受けているに違いない。我ながら大人げないと思うが、子供が入り込むと仕事に支障が出てくる。秘密を守るのが、我が仕事の常識である。知った秘密を子供が喋るとは言わないが、秘密の管理は徹底しなければならない。それに、子供は隠しているものを嗅ぎ付ける能力に長けているように思える。あの、お気楽娘美央は、私の隠していた食料をいとも簡単に探し当てる。まあ、子供といえばあいつは怒るであろうが。
 「仕事ほしいのだろう?暇そうだし。」
と窺うように少年は言ってくる。その少年の瞳は、私を憐れんでいるように見える。
なぜか私のほうがショックを受けた気分だ。
 「仕事の依頼に来たのか。」
 少年は視線を逸らし、考えるように小さな声音で言う。
 「探し物・・・。落し物を探してほしんだ。・・・大事なものだから・・・。」
 「なるほど。だが、例え暇だとしても、ボランティアで付き合うわけには行かない。人に頼むには、それ相応の見返りが必要だということを知ってもらいたい。」
 少年は何を言ってるのか分からないのかきょとんとした顔をする。だが、何かを思いついたのだろう納得した表情で言ってくる。
 「ああ、金か。」
そこまで、あからさまに言われると奇妙な感じがする。
 「金ならあるよ。ほら。」
 と言って財布を差し出してくる。
私は黙ってその財布と少年を見つめていた。差し出された財布に飛びつくほど、浅はかではない。
 少年はその財布をまさぐり、一枚の紙幣を私に見せた。
 「これなんだか分かる?」
 少年はいたずらっぽく微笑みながら聞いてくる。
 「・・・・・1万円札だな。本物か?」
 少年はまた憐れんだ表情をチラッと見せた。
 「本物の1万円札を見たこともないなんて・・・」
 少年はある意味衝撃を受けているようだ。
 ・・・・・おい。
 「そういう意味ではない。なぜ、おまえがそんな大金持っているのだ?」
 「小遣い。」
 ・・・・・・最近の子供は裕福だなあ。
いや、金持ちのお坊ちゃまか。
 「それで、手伝ってくれるの?くれないの?」
 1万円札は財布にしまい、確かめる様子で少年は聞いてくる。
 「・・・いいだろう。」
 決して1万円札に心を動かされたわけではない。突然、子供は大切にしなければならないという気持ちが芽生えたのだ。そう、子供は国の宝。将来を担う者。
大事にせねば・・・。


 「このあたり。」
 賑やかな街角で少年は立ち止まった。
 人通りが多く、確かに探し物をするには大変そうだ。
 「それで、一体何を探せばよいのだ?」
ここへ来る途中も聞いたが、はぐらかされた。少年の名は聞いたが。
 「見れば分かるよ。」
 と言って、少年―翔太(しょうた)は地面をうろうろ見回す。
 ふーと一度私はため息をついて、翔太と同じように辺りの地面を見回した。
ゴミがところどころ散らかっているが、大事なもの、というようなのは落ちていない。
にしても、大の大人が子供と一緒に、うろうろと地面を見回るのは恥ずかしい感じがする。横を通り過ぎていく人々の目に笑いの色があった。
 「ここにはないみたい。」
 翔太はそう言い放つと、私のことはお構いなくさっと歩き出した。
 私もとりあえず、翔太についていく。
 
 次。人通りから離れた路地裏で翔太はこの辺りかもしれないと探し始めた。私も一緒に探す。ゴミくずがちらほらあるが、大事なもの、というようなのはなかった。
 それでも、翔太はしばらくうろうろ歩いた後、私のことを確かめずに、次へと歩き出した。
 商店街。ビル街。喫茶店のゴミ置場。コンビニの前。また商店街。食堂の前と翔太と私はうろうろと歩きづめる。
 「ちょっと待て。」
 私は翔太の手を取り、また次へと行こうとするのを止めた。
 「なんだよ。早く次のところで探そうよ。」
 翔太は焦った様子でそう言う。
 前方が気になるようだ。
 「落し物なんて本当にあるのか?」
 私はすでに気づいていた。
 「・・・あるよ」
 と言って翔太は走るように歩き出す。

 人は例え目の前にあったとしても、それを認識しないとあることがわからない。見えていても、認識がないと頭には伝わってこないのだ。だから、答えはすぐそこにあっても気づかない。目の前に人がいても、認識していないとわからない。
赤の他人ならなおさらで、目の前を通り過ぎてもその者に対する認識をしなければ、目の前を通ったことさえ頭にはない。本当は見ているのに、知らないということになる。
私は何も言わず、翔太の後を追う。
翔太は公園の前に来ると同じように地面を探し出した。私はそれに付き合わず、翔太を観察する。翔太の視線は、地面を見ているように見えながらある一方に向いていた。
その視線の先には、時間を気にしているのか腕時計を見ている男が立っている。三十台後半といった感じの男だ。スーツ姿でしきりに時間を気にしている。
その男が歩き出した。ある程度遠くに離れてから、翔太も次と言って、その男の後へと歩き出す。
公園の中の噴水の辺りで男は立ち止まった。
翔太はそれと同時に立ち止まり、この辺りを探そうよ、といってあたりを見回す。でも、その視線は男のほうへと随時向いていた。
 「あの男は、お父さんか。」
 噴水の側でぼーと立っている男を見ながら、私は言う。
 「・・・!」
 気配で翔太がびくっと体を震わせたのを感じた。
 「ど、どうして・・・・?」
 翔太は驚いている。気づいていないと思ったのだろう。
 「周囲の観察は探偵の基本でね。細かいことを見つけるのには、いつも以上に周囲に気を張らしていないといけない。」
 普通なら意識しないことでも、私は意識している。横を通り過ぎる赤の他人でも、必要な範囲で認識している。つまり、翔太がいく所、目の前の男がいたのだ。3、4回同じことが起きると、偶然とは思わなくなる。確信を得るために、翔太の行動をはっきりと観察した。あの男が歩くと歩き出し、立ち止まると翔太も立ち止まる行動を取った。それに、地面を見ているに見えて、ずっと、あの男を見ているのだから、わかっても当然だろう。
お父さんと思ったのは、顔の様子がよく似ていたからだ。
 男が歩き出した。
 翔太は俯いたまま、動こうとしない。
 「いいのか?行ってしまうぞ。」
 視界から消えてしまったら追うのも難しくなるかもしれない。
 「だって・・・。その。」
 何を言っていいのかわからないのか、翔太は私を見るので精一杯というふうだった。
 「行くぞ。」
 私を騙していたことに、悪いと思っているのだろう。
私は、翔太の手を取り、あの男の後を追った。
 「一つ聞きたいが、なぜ、お父さんの後を追うのだ?」
 翔太はしばらく黙ったまま、私に引かれながら付いてきていた。
 「様子がおかしいと思ったんだ。最近、変で・・・。」
 手を引かなくても、翔太は自分から歩いた。
 「だから追っているのか?理由を知るために。」
 「・・・うん。」
 男が立ち止まると、翔太も立ち止まる。それからも幾度か続いた。
私はその間、その男が何をしているのか観察する。もちろん、その前から見ていたが、彼のしたいことがわからなかった。時間を気にしながら、ただ単に歩いている。それだけだった。
 まるで、浮気調査だな・・・。
そうなのかもしれない。
 とりあえず、男が再び歩き出したので、翔太もしばらくして歩き出す。
私は周囲の観察をしながら、翔太の後を追う。
 人通りのない道。裏道で薄汚れた建物の背が見える。
男は急に立ち止まると、辺りを見回した。
 私が素早く翔太を建物の影に引き寄せなかったら、見つかっていたかもしれない。
 「くっ、見つかったか。」
 男は観念したかのようにそう言う。
翔太の体がぴくっと跳ねた。後を追っていたことを知られたと思ったのだろう。
 「ええ、やっと見つけたわ。」
 女の声がする。私がそっと見ると、満足した表情で男を見る三十台そこらの女が立っていた。
 二人は、しばらく見つめ合う。
男はしまったという表情を、女は満足した笑みを浮かべている。
だが、しばらく見詰め合ってからふっと、二人の男女に同じ笑いが出た。
 「そうか、見つかったか、あはははは。」
 「そうよ、あなたぁ。やっと、みつけたのぉ。」
 そして、二人はいちゃいちゃとラヴラヴモードに入っていった。
 「なんだあれは。」
 私はじっと下を見ている翔太に聞く。
 「・・・パパとママ。」
 「いや、それはわかったが、何をしているのだ?」
 と翔太に聞くまでもなく、二人の夫婦が答えを言う。
 「いやー、今回の鬼ごっこも楽しかったなあ。」
 「ほんと、あなったてば、逃げるのがお上手。ほほほ。」
 「あと、10分で僕の勝ちだったんだけどな。」
 「そうよ、約束どおり、ちゃんと買ってもらいますからね。」
 「仕方ないな。あははははっ。」
 二人は小突きありながら、楽しそうに笑う。
 私は何も言わず翔太を見た。
 「・・・最近変だったんだ。僕に隠れてひそひそと、いつもは僕にもちゃんと話してくれるのに!」
 ・・・・・・そう言って弁解してくる翔太だが、私はほとんど聞いていなかった。私はめまいがして、そのままその場から離れた。
 一体、私は何をしていたのだ!?
 この衝撃は大きかった・・・。

  その翌日。翔太とその夫婦がやって来て、私にお礼をした。
私の手の中に、1万円札がある。
 親子仲良く手を繋いで歩いていくのを、窓から見ながら、私はぎゅっと1万円札の感触を確かめた。
 たまにはこういうのもいいだろう。

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